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NBA

“最悪のトラッシュトーカー”レジー・ミラーの真実の顔。歩行障害を持つ少年がスターとなるまでの軌跡【NBAレジェンド列伝・前編】

出野哲也

2020.08.03

ミラーが絶えずトラッシュトークを仕掛けていたのは、ある理由があった。(C)Getty Images

ミラーが絶えずトラッシュトークを仕掛けていたのは、ある理由があった。(C)Getty Images

 現在、NBAでスーパースターと呼ばれる選手たちの多くはオールラウンドなプレースタイルだ。レブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)やヤニス・アデトクンボ(ミルウォーキー・バックス)はもちろん、ステフィン・カリー(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)やラッセル・ウエストブルック(ヒューストン・ロケッツ)といったポイントガードもチームの得点源になっている。一昔前にはブルース・ボウエン(元サンアントニオ・スパーズほか)のように、守備のスペシャリストとして評価の高い選手たちはいたが、スーパースターとまでは言えなかった。

 となると、たったひとつの得意技でスーパースターと認められていた選手は、レジー・ミラーが最後かもしれない。ミラーはプレーメーキングもリバウンドも得意ではなかったし、ディフェンス面でも名を知られてはいなかった。そんな彼が18年間にわたりNBAで輝かしい実績を残し続けてこられたのは、すべては正確無比なシュート力の賜物だった。
 
■“偉大な姉の弟”という縛りを見事払拭し、一流のNBA選手へ

 ミラーは生まれつき足が悪く、4歳になるまで矯正器の助けがなければ歩けなかった。それでもやがて運動ができるまでに回復すると、兄弟たちと一緒にスポーツに親しむようになる。

「家族みんなが仲の良い、理想的な家庭」だったミラー家はスポーツ一家で、兄のダレルはMLBカリフォルニア(現ロサンゼルス)・エンジェルスの捕手、姉のシェリルは女子バスケットボール界のスーパースター。1984年のロサンゼルス五輪で金メダルを獲得した偉大な姉との1オン1によって、ミラーの技術は磨かれていった。

「どこに行っても“シェリルの弟”としてしか扱われなかったよ。姉さんの陰から抜け出すのは、人生で最大の難関だった」

 名門UCLAに進学したミラーは、4年間で2095点を記録。これは数多くの名選手を送り出した同校の歴史でも、ルー・アルシンダー(現カリーム・アブドゥル・ジャバー/元レイカーズほか)に次ぐ数字だった。
 

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