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NBA

シクサーズを追われたバークレーに訪れた“復活の時”。唯一無二の個性派は引退後も健在【NBAレジェンド列伝・後編】

出野哲也

2020.08.07

シクサーズ時代の終盤には首脳陣と反発し、92年にサンズへトレード。翌年、チームをリーグ最高勝率に導きMVPを手にした。(C)Getty Images

シクサーズ時代の終盤には首脳陣と反発し、92年にサンズへトレード。翌年、チームをリーグ最高勝率に導きMVPを手にした。(C)Getty Images

 身長190cm台であれば、NBAではガードのポジションを任せられるのが一般的だ。しかし、チャールズ・バークレーは2mに満たない身体でパワーフォワードを務めあげ、「神からもらった才能」と自負するリバウンドで、時代を代表する選手となった。キャリアを通じて数々の賞を手にしたバークレーだったが、頂点に立ったことは1度もなかった。だが、彼が唯一無二の特別な存在であることに疑いを持つ人はいないだろう。

   ◆   ◆   ◆

 強豪フィラデルフィア・76ersで1年目から頭角を現わしたバークレーは、2年目から平均得点が20点台に乗り、3年目は平均14.8リバウンドでリーグ1位。オールスターにも初出場し、スターの座を不動のものとした。マローンの教えで自己管理に目覚めたことも、成績の向上を後押しした。

「モーゼスは俺のキャリアで最も影響を受けた人物」と、バークレーも事あるごとにマローンへの感謝を口にしている。
 
■サンズ入団1年目で初のMVPに輝く

 ところが、バークレーの成長に反比例するように、シクサーズは衰退の道を辿っていく。1年目はカンファレンス決勝まで進出したのが、2年目はセミファイナル敗退、3年目は1回戦負け。87年にはアービングが36歳となり、この年限りで引退。マローンはトレードされ、ボビー・ジョーンズも引退といった具合に、優勝時の主力は次々に去っていった。これではバークレーがどれだけ奮闘しても限界があり、87-88シーズンはとうとう負け越す有様だった。

 そのフラストレーションは球団首脳へ向けられた。
「フロントの連中は優勝するよりも金儲けのほうに興味がある」と批判し、トレードを希望する発言がたびたび新聞紙上を賑わせた。一方で、チーム側もバークレーの行動や言動は頭痛の種だった。

 拳銃不法所持で逮捕されたり、野次を飛ばす観客に唾を吐きかけようとして、8歳の少女にかかってしまい国中の非難も浴びたりもした。91年にはミルウォーキーのバーで酔客と喧嘩し、負傷させたとして裁判沙汰になった。

 バルセロナ五輪を2か月後に控えた92年6月、シクサーズはついにバークレーをサンズへ放出した。バークレーの第一声は「フェニックスなら、毎日ゴルフができるな」だった。
 

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