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NBA

現在の制度ならレブロンの母校となっていた?創部100年以上の歴史を誇るオハイオ州大の歴史【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.10.30

2007年にはドラフト1位のオーデン(右上)やコンリー(右下)を中心に全米準優勝を果たしたオハイオ州大。地元出身のレブロンが入学する可能性もあった?(C)Getty Images

2007年にはドラフト1位のオーデン(右上)やコンリー(右下)を中心に全米準優勝を果たしたオハイオ州大。地元出身のレブロンが入学する可能性もあった?(C)Getty Images

 ジョン・ハブリチェックら大物選手を多く輩出し、NCAAトーナメントで準優勝4回、優勝1回と輝かしい実績を誇るオハイオ州大。しかし、もし「高卒選手の直接プロ入り禁止」の制度があと数年早く導入されていたら、地元出身の神童レブロン・ジェームズの入学により、さらなる黄金期を築いていたかもしれない。

■第1回トーナメントで準優勝と創設当初から強豪校として君臨

 高校卒業後に直接NBA入りする制度が、2006年のドラフトよりも早く禁止されていたら、レブロン・ジェームズはオハイオ州大(以下OSU)に入学していたはずだ。本人がそう発言していたのだから間違いないだろう。もしそれが実現していれば、OSUのNCAAトーナメント(以下トーナメント)優勝回数は、現在の1回より増えていたかもしれない。OSUバスケットボール部(通称バッカイズ)の歴史は古く、創部は1898年。バッカイ(Buckeye)とはオハイオ州の別名で、トチノキを意味している。

 1939年に開催された第1回トーナメントでは、大会最優秀選手に選ばれたジミー・ハルの活躍で準優勝を果たす。44年からは3年連続でファイナル4に駒を進めるなど、ビッグ10カンファレンスの強豪校として君臨した。
 
 OSU出身者として初のNBA選手となったのは、46年にピッツバーグ・アイアンメン(現在は消滅)に入団したロジャー・ジョーゲンセン。しかし平均1.5点と爪痕を残せず、わずか1年でリーグから姿を消した。

 48年に卒業したニール・ジョンストンは、その後投手としてMLB入りを目指すも芽が出ず、51年に再びバスケ選手に転向しフィラデルフィア(現ゴールデンステイト)・ウォリアーズに入団。得意のフックシュートで得点を量産し、53年から3年連続で得点王に輝いたが、ヒザを痛めて30歳の若さで引退を余儀なくされた。

 野球つながりで言えば、メジャー通算382本塁打を放ち、日本でのプレー経験もある強打者フランク・ハワードも、OSU時代はバスケットボールのスター選手として名を馳せた。在学3年間で平均17.4点、13.9リバウンド、1試合32リバウンドの学校記録も樹立。57年にはオールアメリカンの2ndチームに選出され、58年ドラフトでは3巡目(全体20位)でウォリアーズから指名を受けたものの、入団せずに野球の道を選んだ。
 
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