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NBA

愛称は“おばあちゃん”。ダラスの不良少年だったラリー・ジョンソンがNBAスターになるまで【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.05.20

ジョンソンは身長201センチとPFとしては小柄だったが、抜群の身体能力とシュート力でカバー。1年目から平均ダブルダブルをマークした。(C)Getty Images

ジョンソンは身長201センチとPFとしては小柄だったが、抜群の身体能力とシュート力でカバー。1年目から平均ダブルダブルをマークした。(C)Getty Images

 NBAのスター選手には、ユニークなニックネームをつけられる者が少なくない。最近ではKD(ケビン・デュラント)やPG13(ポール・ジョージ/13は背番号)などイニシャルに由来するものが多いが、以前はドクターJ(ジュリアス・アービング)や、メールマン(カール・マローン)など独創的なものが多かった。

 そうした数々のニックネームの中でも、最大の変わり種はラリー・ジョンソンの「グランママ」だろう。“おばあちゃん”という言葉ほど、バスケットボール選手のイメージから遠いものもそうはない。なぜそう呼ばれたのかは後ほど説明するとして、まずは彼の輝かしいアマチュア時代の経歴を振り返ろう。

【バスケットボールのおかげで道を誤らなかった不良少年】

 ジョンソンが生まれたのはテキサス州ダラスのプロジェクト(低所得者用の公営住宅)だった。過酷な環境で、子どもの頃の友人は麻薬の売人となった者も多かった。彼自身も品行方正な少年とは言えず、12歳の時には自転車と雑貨を盗んで、逮捕された経験もあった。
 
 それでも決定的に道を外さなかったのは、バスケットボールがあったからだった。毎日のように友人と1on1を楽しみ、時には深夜までプレーを続けて才能を磨いた。ボクシングの素質もあり、ヘビー級のボクサーになっていたかもしれなかったが、結局はバスケットボールの道を選んだ。

「スポーツをしていれば、トラブルに巻き込まれずに済む」と考えた母親の希望で、厳しい指導に定評のある高校に進み、オールアメリカンにも選ばれた。だが、学業の成績が悪くて希望の大学に進めず、短大を経てUNLV(ネバダ大ラスベガス校)に転入した。

 UNLVにはステイシー・オーグモン、グレッグ・アンソニーらのちのNBA選手たちもいたが、中でもジョンソンの才能は際立っていた。当時の身長は195センチで、大学生レベルでもパワーフォワードとしては高くはなかったが、鍛え上げた屈強な肉体がそれを補っていた。

 足にバネでもついているかのような跳躍力でリバウンドをもぎ取り、強烈なダンクを見舞ったかと思えば、インサイドではボクサーとして身につけた敏捷さを生かし、ポストムーブで自在に得点。中距離からのジャンプショットも正確に決めた。個性派ヘッドコーチのジェリー・ターカニアンからも「私の教え子の中でも、ラリーは一番人間的に優れていた」と可愛がられた。
 
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