専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

得点製造機デュラント、名司令塔トーマス、守備職人ペイトン…NBAの歴代ベスト“ドラフト2位チーム”を選定!<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.03.17

ドラフト2位指名には、史上最高の“ドラ2”デュラント(右)や、レジェンドのトーマス(左上)、ペイトン(左下)ら豪華メンバーが名を連ねた。(C)Getty Images

ドラフト2位指名には、史上最高の“ドラ2”デュラント(右)や、レジェンドのトーマス(左上)、ペイトン(左下)ら豪華メンバーが名を連ねた。(C)Getty Images

 1946年に創設されたNBAは、翌47年からドラフト制度を開始させ、時代によってルールを変えながら現在に至っている。

 昨年7月までに計75回のドラフトが行なわれてきたが、年代関係なく指名順位に限定してチームを結成した場合、その顔ぶれはどうなるのか。今回は“ドラフト2位指名”の最強チームを、アメリカンスポーツに精通する識者に選んでもらった。

【ポイントガード】
アイザイア・トーマス

1961年4月30日生。185センチ・82キロ
1981年ドラフト2位
キャリアスタッツ:979試合、平均19.2点、3.6リバウンド、9.3アシスト

 1位指名ベスト5と同じく、1966年以降のドラフトから選出する。2位指名のPGは名選手が多く、「史上最高の75人」に選ばれた者だけでもデイブ・ビング、トーマス、ゲイリー・ペイトン、ジェイソン・キッドと4人いるが、1人選ぶならトーマスだろう。

 名門インディアナ大で活躍し、アメリカがボイコットした80年モスクワ五輪の幻の代表でもあった。81年のドラフトではデトロイト・ピストンズの2位指名。1位は少年時代からの友人で、五輪代表でも一緒のマーク・アグワイアだった。

 冷静沈着なプレーメーカーと、自ら得点を量産するエーススコアラーの2つの顔を持ち、1年目から12年連続でオールスターに出場。弱小球団だったピストンズを89、90年に2年連続優勝を果たす強豪へ変貌させた。試合中に足を捻きながら43得点を叩き出した88年ファイナルでの奮闘も記憶に残る。

 現役のジャ・モラント(メンフィス・グリズリーズ/2019年2位)も、将来的にこの偉大な面子に加わるかもしれない。
 
【シューティングガード】
アール・モンロー

1944年11月21日生。191センチ・84キロ
1967年ドラフト2位
キャリアスタッツ:926試合、平均18.8点、3.0リバウンド、3.9アシスト

 PGの充実ぶりに比べると、SGはいささか物足りない顔触れだ。しかしながらモンローだけは、ニックネームの”ザ・パール(真珠)”にふさわしい輝きを放っている。フィラデルフィアのプレーグラウンドでは”ジーザス”と崇められた伝説的な存在で、ウィンストンセーラム州大時代には年間平均で40点を記録。

 67年の2位指名でボルティモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)に入団すると「自分でもどんな動きをするか予測できないのだから、相手はもっと無理だろう」と嘯いた芸術的ムーブを駆使し、たちまち人気選手となった。1年目は平均24.3点で新人王、翌年はオールNBA1stチーム入り。ドラフト同期のウォルト・フレイジャーには「神様でも1対1ではあいつをガードできない」と言われた。

 71-72シーズン途中にニューヨーク・ニックスへ移籍。名PGのフレイジャーと組んだガードコンビの豪華さは”ロールス・ロイス・バックコート”の異名を取り、73年に優勝を果たしている。
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号