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NBA

“史上最強のNo2”ピッペンや“提督”ロビンソンを筆頭に、好選手を多く輩出した隠れた当たり年【NBAドラフト史1987年】

大井成義

2020.01.14

無名だったピッペンは、ブルズ入団後に急成長。“史上最強の№2”としてエースのマイケル・ジョーダンとともに6度の優勝を達成した。(C)Getty Images

無名だったピッペンは、ブルズ入団後に急成長。“史上最強の№2”としてエースのマイケル・ジョーダンとともに6度の優勝を達成した。(C)Getty Images

■1位指名が確実視されていたのは海軍兵学校4年のロビンソン

 1989年以降、NBAドラフトでは2ラウンド制のフォーマットが採用されている。指名権の譲渡も時折行なわれるため、実際は込み入った順番や指名回数になっていたりするが、基本的には各チームに2つの指名権が与えられ、1位から順番に選手が選ばれていく。この十数年間で言えば、30チーム×2ラウンド=60人の選手が、毎年指名されていることになる。

 それ以前は、頻繁にフォーマットが変わっていた。前年の1988年は3ラウンド、今回紹介する1987年は7ラウンドまで指名が繰り返され、全部で161人が選出されている。そのうち1度でも公式戦に出場することができたのは55人。憧れのNBAのチームから指名されながら、3人に2人は夢の舞台に立てなかったわけだ。ちなみに過去最多は、ラウンド数が21(1960、68年)、指名選手数は239人(70年)となっている。

 1987年のドラフトクラスは、1人だけが突出していた。ネイビー(海軍兵学校)4年のデイビッド・ロビンソンである。7フッターながら抜群の運動能力を持ち、勤勉実直な模範的アスリート。3年時には1試合平均13リバウンドをマークしリバウンド王に輝き、当時のNCAAレコードとなる1試合平均5.91ブロックを叩き出した。1シーズンの総ブロック数207は、いまだに破られていない。
 
 攻守両面に秀でたロビンソンは、カレッジ通算2500得点、1300リバウンド、FG成功率60%以上をすべて記録した初めての選手となった。4年時には個人賞をほぼ総なめにし、歴代屈指のカレッジプレーヤーにして将来性も抜群。全NBAチームにとって垂涎の的であり、1位指名は確実視されていた。

 ただし、ネイビー出身のロビンソンには特殊な事情があった。卒業後2年間の軍役が義務付けられており、ジョージア州の潜水艦基地に赴き、土木工学士官として任務に就くことが決まっていた。さらには特例が適用され、ドラフトで指名されても1年間契約書にサインしなければ、2年後にFAとして他チームと契約を結ぶことができる。それゆえ、この年のドラフトでのロビンソン指名は、ある種のギャンブルでもあった。
 

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