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NBA

“魔術師”マジックの登場で初の全米制覇!強豪校としての地位を確立したミシガン州大の歴史【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.01.16

マジックは1年目からリーダーとしてチームを牽引。79年にはチームを初優勝に導いた。(C)Getty Images

マジックは1年目からリーダーとしてチームを牽引。79年にはチームを初優勝に導いた。(C)Getty Images

 今季の大学バスケットランキング(AP通信)で、開幕前は1位にランクされていたミシガン州大(MSU)が予想以上に苦しい戦いを強いられている。開幕戦でケンタッキー大に敗れると、最初の8試合で5勝3敗。ランキングも一気に14位まで落ちてしまった。1月13日時点では8位まで再上昇してはいるが、期待を下回っているのは否めない。

 スパルタンズの愛称を持つバスケットボール部の創設は古く、1898年まで遡る。長い間特定のカンファレンスには所属せず、ようやく48年にビッグ10カンファレンスに加入した。50年にはビッグマンの育成で有名なピート・ニューエルが監督に就任したが、目立った成績は残せず54年限りで退任。57年にフォーディ・アンダーソンHCの下でNCAAトーナメントに初出場、準決勝でノースカロライナ大とトリプルオーバータイムの死闘を繰り広げた。最終的には4点差で惜敗したものの、この試合はカレッジ史上屈指の名勝負と言われている。
 
 しかし60年以降の18年間は、トーナメントに1度も出場できない低迷期に突入する。この間にNBAで活躍したのはジョニー・グリーンとラルフ・シンプソン。59年、MSU出身者初のNBAドラフト1巡目(5位)でニックスに入団したグリーンは、オールスターに4回出場。ロイヤルズ(現キングス)時代の70、71年に2年連続でFG成功率1位となった。シンプソンは70年に大学を中退してABAのロケッツ(現ナゲッツ)でプロデビューを果たし、2年目の72年には平均27.4点をマーク、ABAのオールスターに5年連続で選ばれている。ちなみに娘のインディア・アリーはグラミー賞の受賞経験も持つ人気歌手だ。

 チームにとって大きな転機となったのは、77年にアービン・“マジック”ジョンソンが入学したことだった。ミシガン州ランシング生まれのマジックにとって、隣町イーストランシングにあるMSUは子どもの頃から試合を見に行っていた学校。一時はライバルのミシガン大に進むことも考えたが、HCのジャド・ヒースコートから「君をPGで起用するつもりだ」と言われ、MSUへの進学を決意する。206cmの司令塔は2年間で平均17.1点、7.6リバウンド、7.9アシストをあげ、79年のトーナメント決勝ではラリー・バードを擁するインディアナ州大を下して初優勝。この試合は驚異的なTV視聴率を叩き出し、トーナメント及びカレッジバスケへの注目度を飛躍的に増大させた。この年は決してマジックのワンマンチームではなく、スペシャルKことグレッグ・ケルサーの存在も見逃せなかった。ケルサーはMSUで通算2000得点、1000リバウンドを記録した唯一の選手である。
 

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