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「一生忘れることのできない日」に始まり「死んでもいいと思う瞬間」を迎えるまで【イチローの軌跡をたどる「51」の言葉:モーメント編 Vol.1】

藤原彬

2020.03.22

昨年3月21日、東京ドームでの試合を終えて日本のファンに別れを告げた。(C)Getty Images

 鳴りやまない歓声に包まれて、悔恨の念は払拭されたと胸中を語った。2019年3月21日、東京ドームで開催されたメジャーリーグ開幕シリーズの2試合目を最後にイチローが現役を退く意向を表明して1年が経つ。グラウンドでのプレーだけではなく、印象的な言葉でも野球の魅力を表現し、ファンの記憶に刻み続けた。海を渡ってからメジャー19年間で語られた言葉を振り返ろう。

「想像していた以上でした。間違いなく一生忘れることのできない日。そして最も特別な日になるでしょう」
(2001年4月2日/メジャーデビュー戦で第4打席に初ヒットを放つ)

「こうやってクールを装ってはいますけど、自分の中ではすごくうれしいです」
(2002年9月22日/2年続けてシーズン200安打をマークして)
 
「重圧や怒りから、吐き気がしたり息が苦しくなったりすることはこれまでにはなかった経験」
(2003年9月20日/これまでに経験したことのない苦しみを経験しながらシーズン200安打に到達して「いかにタフなことか」)

「小さなことを多く重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道なんだと感じてます」
(2004年10月1日/シーズン最多安打記録を更新して、継続の重要性を確信)

「夢にも出て、キレそうになったこともある」
(2005年9月30日/記録が近付くと増す「逃げることはできない」プレッシャーに立ち向かい、5年連続でシーズン200安打を達成)

「今年できたら、来年はできなくてもいい。毎年、そう思いながらやっています」(2006年9月16日/6年連続で記録したシーズン200安打への想いを語る)

「平均年俸が500万円だとしたら、弥生時代からプレーしないと出せない数字ですよね」(2007年7月13日/ファンからの残留を望む声にマリナーズ残留を決断し、5年9000万ドルで延長契約を締結)

「僕以外の人を納得させる数字」
(2007年9月3日/7年連続でシーズン200安打を達成して「日本でしたことをこちらでもやらないと、人は納得しない」)
 
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