プロ野球

【野球人が紡ぐ言葉と思い】「なんで、そんなボールを要求したのかな」小林誠司の成長を後押しした甲子園での後悔

氏原英明

2020.04.11

高校時代、配球ミスに泣いて甲子園優勝を逃した小林。その悔しさをバネに、プロでは3度も投手陣をノーヒッターに導く好リードを見せている。写真:朝日新聞社

「あの時のキャッチャーがこんなに頑張ってるんやなって、そういう選手になっていたい」(巨人・小林誠司)

 現在、巨人の正捕手を務める小林誠司は、大学・社会人を経てプロ入りした苦労人だ。なかでも、彼の成長を後押しするきっかけになったのは、広陵高3年夏の甲子園大会だろう。

 2007年8月22日、第89回全国高校野球選手権大会決勝の対佐賀北戦。エース・野村祐輔(現広島)をリードしていた小林は、優勝まであとアウト5つに迫っていた。ところが、8回裏一死から8番打者にヒットを許すと、そこから大反撃を食らった。

「がばい旋風」とも呼ばれた歴史的なミラクルが起きたあの試合だ。

 点差は4点もあったのだが、この安打を許してから球場全体の雰囲気が佐賀北に味方し、小林も、そして冷静沈着だった野村でさえも我を失った。続く打者にもライト前ヒットを打たれ、さらに連続四球を与えて押し出しで1点。一発が出れば逆転という窮地に追い込まれた。

 そして、一死満塁で迎えたのは3番の副島浩史(現唐津工監督)。3球目、野村が投じたスライダーが高めに浮いた。副島はこれをコンパクトなスウィングで捉え、打球は左翼スタンドに飛び込む逆転満塁本塁打になった。

 小林は当時をこう語っている。

「打った瞬間に入ったとは思いましたけど、心の中では入らんといてくれーって叫んでましたね。でも、それは変わらなかった」

 ただ、この試合を振り返った時、小林が悔いているのは、最後のホームランの場面ではない。それは野村も同じで、「また同じ場面をやり直しても、あの場面では同じ球種を投げると思う」と語っているくらいだ。

 小林は言う。

「先頭打者のヒットが一番、悔いに残っています。あの時、スローボールを打たれたんですけど、なんで、そんなボールを要求したのかなって。あのヒットで、相手が勢いづきましたから、野村に悪いことをしたなって」
 
 小林は高校を卒業すると、明治大に進んだ野村と同じ東京六大学ではなく、同志社大に進んでプロ入りを志した。だが、大学4年時の11年ドラフトで広島から1位指名を受けた野村とは異なり、小林は指名すらされなかった。そのため社会人の日本生命に進んだが、1年目は目立った活躍ができずに終わる。一方の野村は、ルーキーイヤーに9勝、防御率1.98と好成績を収めて新人王を受賞した。

 しかし、そこから小林は頑張った。13年には社会人ベストナインを受賞する活躍を見せ、ドラフトではついに巨人から1位指名を受けた。そしてプロ入り後は好守の捕手として活躍している。

 16年から4年連続で盗塁阻止率リーグトップを記録しただけでなく、継投も含めて3度のノーヒッターを演出。これはプロ野球史上他に3人しかいない偉業だ。こうした活躍が評価され、17年のWBC、19年のプレミア12では侍ジャパンにも選出された。

 小林をこれほどの捕手にしたのは、やはり07年夏の決勝で打たれた"悔しさ"だろう。配球ミスによって歴史的な逆転劇を演出してしまった「あの時のキャッチャー」は、好リードで投手陣を支える女房役として現在も頑張っている。

取材・文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)

【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』(新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。

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