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"ミスター・タイガー"と呼ばれたレジェンドが死去。球界から追悼のメッセージが続々と…

2020.04.07

53年のデビュー以来、実に67年もの長きにわたり、タイガースと関わり続けたケーライン氏。高潔で紳士的な人柄から、球界で最も尊敬された人物の一人だった。(C)Getty Images

 1953年から74年にかけてデトロイト・タイガース一筋にプレーし、"ミスタ・タイガー"と呼ばれた殿堂入り外野手のアル・ケーライン氏が6日、死去した。85歳だった。

 ケーライン氏は53年6月、マイナー経験なしでメジャーデビュー。3年目の55年に史上最年少の20歳で首位打者を獲得した。その後は打撃タイトル獲得はなかったが、59年と61年に打率リーグ2位、通算でも9度3割を記録するなど堅実な活躍を続けた。

 強肩でも知られ、6度の2ケタ補殺を記録。56年の18補殺、58年の22補殺はそれぞれリーグ最多だった。守備の名手でもあり、57年から制定されたゴールドグラブ賞は外野手歴代3位タイの10度受賞している。

 74年9月24日の対ボルティモア・オリオールズ戦で史上12人目の通算3000本安打に到達し、この年限りで引退。通算3007安打はタイ・カッブに次ぐ球団歴代2位で、2834試合出場、399本塁打、1277四球はすべてタイガースの球団記録である。地元デトロイトでは絶大な人気を誇り、通算で18度のオールスター出場を果たした。
 
 ケーライン氏はこれらの偉業を、ハンディキャップを克服して成し遂げた。8歳の時に骨髄炎を患った彼は、左足の骨の一部を切除しなければならなかった。手術によって彼の左足は永久に変形してしまったのだが、それをものともせずに走攻守にわたる活躍を見せた彼を、71~73年にタイガースの監督を務めたビリー・マーティンは"ミスター・パーフェクション"と呼んでいた。

 80年に野球殿堂入り。同年、背番号6がタイガースの永久欠番に指定された。2000年に開場したタイガースの現本拠地コメリカ・パークにも、ケーライン氏の銅像が設置されている。

 引退してからも02年までタイガース戦の解説者を長らく務め、その後も球団特別顧問として、実に67年もの間タイガースに関わり続けた。

 死去を受けて、コミッショナーのロブ・マンフレッドは「今日は我々にとってとても哀しい日になった。アルは真の紳士であり、最も尊敬された人物の一人だった」と声明を発表。タイガースのオーナーであるクリストファー・イリッチも「ベースボールは今日、巨人を失った」とその死を惜しんだ。

 05~17年までタイガースでプレーしたジャスティン・バーランダー(現アストロズ)も、「あなたを友人と呼ぶことができてとても光栄だった」とツイッターで哀悼の意を表明。また、18年までタイガースの選手だったジェームズ・マキャン(現ホワイトソックス)も、生前のケーライン氏とともに映った写真付きで「あなたがいなくなって寂しい」とツイートしている。

文●筒居一孝(スラッガー編集部)
 
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