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MLB

【MLB今日は何の日】フィールドで燃やされそうになった星条旗を救ったマンデーの英雄的行為

出野哲也

2020.04.25

マンデーが星条旗を救った瞬間。この一件でマンデーは今も球史に残るヒーローとしてファンから尊敬を集めている。(C)Getty Images

マンデーが星条旗を救った瞬間。この一件でマンデーは今も球史に残るヒーローとしてファンから尊敬を集めている。(C)Getty Images

 リック・マンデーは誰もが知っている有名選手ではなかったけれども、いろいろな名場面に関わっている。1964年に始まった新人ドラフトで、カンザスシティ(現オークランド)・アスレティックスから最初に指名された「ドラフト全体1位選手第1号」であり、ロサンゼルス・ドジャース時代の81年にはリーグ優勝を決定づけるホームランを打った。

 だが、彼が最も有名になったのは、野球そのものとは全然関係のないことだった。

 76年4月25日、場所はロサンゼルスのドジャー・スタジアム。シカゴ・カブスのセンターを守っていたマンデーは、レフトスタンドから2人の観客がフィールドに下りてきて、何か大きな物を広げているのを目にした。

 それが星条旗=アメリカ国旗であり、ライターで火がつけられようとしているのを知ったマンデーは「目の前で星条旗が燃やされるのだけは許せない」と猛ダッシュ。風にあおられ着火できないでいた男たちの手から、星条旗を奪い取った。
 
 観客席からは期せずして『ゴッド・ブレス・アメリカ』の合唱が沸き起こり、その場面を撮影した写真はピュリツァー賞にノミネートされた。マンデーの下には、時の大統領ジェラルド・フォードからの感謝のメッセージが届いた。

 この年は建国200年に当たり、国中で記念祝典が開かれていた。その一方で泥沼のベトナム戦争が終わったばかりで、国や政府に怒りを抱く市民も少なからずいた。公の場で星条旗を燃やすような人間が出てきてもおかしくない状況ではあった(ただし着火を試みた男は政府への抗議の意思などなく、無職で精神にも問題を抱えていた。もう一人は息子だった)。

 この年自己最多の32本塁打、19年の選手生活で通算241本を放ったマンデーは84年限りで引退。件の旗は球団を通じてマンデーに贈られ、長い間自宅の壁を飾っていた。100万ドルで売ってくれとの申し出も拒否し、今では銀行の貸金庫に保管されているという。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。

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