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MLB

名前は平凡でも業績は偉大。選手、コーチ、GMに加えてあの人気映画にも出演したボブ・ワトソンの足跡

宇根夏樹

2020.05.19

長年にわたって球界に貢献したワトソン(左)。17年にはコミッショナーから表彰された。(C)Getty Images

長年にわたって球界に貢献したワトソン(左)。17年にはコミッショナーから表彰された。(C)Getty Images

 先日、74歳で亡くなったボブ・ワトソンは、名前こそ至って平凡だが、選手、コーチ、GMとして長年にわたって数々の足跡を記してきた。

 現役時代、ワトソンは一塁とレフトを守り、1966年から84年までメジャーで19年間プレーした。ニックネームは“ザ・ブル(雄牛)”。通算成績は、1826安打、184本塁打、27盗塁、打率.295。キャリアの大半をヒューストン・アストロズで過ごし、オールスターにも2度選ばれた。75年にはメジャー通算100万得点目のホームを踏み、コンテストを催していたスポンサーから、100万枚の1セント硬貨(計1万ドル)と100万個のキャンディ、プラチナの時計をもらった。77年にアストロズ、79年にボストン・レッドソックスでサイクル安打を記録し、史上初めて両リーグで達成した選手になった。

 選手生活を終えた後、ワトソンはオークランド・アスレティックスで打撃コーチとベンチコーチを務めた。彼が指導したホゼ・カンセコは86年、マーク・マグワイアは87年に新人王を獲得。2人は大砲コンビ“バッシュ・ブラザーズ”として相手投手を震え上がらせた。
 
 93年10月にはアストロズのGMに就任。黒人(アフリカン・アメリカン)のGMは、70年代にアトランタ・ブレーブスでその役割を担ったビル・ルーカスに続く2人目だが、ルーカスは肩書きが違っていたため、『ニューヨーク・タイムズ』紙などはワトソンを「黒人初」と謳っている。95年10月にニューヨーク・ヤンキースへ移り、その1年後には、ワールドシリーズで優勝した初の黒人GMとなった。98年からはMLB機構で働き、2000年のシドニー五輪では代表選考委員会の議長を務め、金メダル獲得にも貢献した。

 通算100万得点は巡り合わせによるものだが、その他の実績は違う。96年のワールドシリーズ優勝にしても、ジョー・トーリを監督に招いたのは、GMに就任した直後のワトソンだ(2人は82~84年にブレーブスで選手と監督だった)。トーリはそれまで3球団で采配を振ってきたが、当時はまだ“名将”とは目されていなかった。

 もう一つ付け加えると、ワトソンは映画にも出演している。『がんばれ! ベアーズ 特訓中』(シリーズ2作目)でアストロズの選手を演じ、アストロドームのダグアウトから「カモン! あの子たちにプレーさせてやれよ」と叫んでいる。

文●宇根夏樹

【著者プロフィール】
うね・なつき/1968年生まれ。三重県出身。『スラッガー』元編集長。現在はフリーライターとして『スラッガー』やYahoo! 個人ニュースなどに寄稿。著書に『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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