プロ野球ファンはそれぞれの時代で、個性あふれる選手たちに敬意や親しみを込めてニックネームを名付けることが多い。そうして生まれたさまざまなニックネームを、スラッガー編集部が独断と偏見で「面白い順」にランク付け。球史を彩った選手たちの個性、そしてファンのネーミングセンスを改めて楽しんでほしい。
▼10位:"猛牛"千葉茂(元巨人)
一見鈍重な風貌ながら、ニックネームの由来ともなった闘志あふれるプレースタイルで1940~50年代に人気を博したスター二塁手。58年に近鉄の監督に就任した際は、その人気にあやかってチーム名が「パールス」から「バファロー」へ変更されたほどだった。選手個人のニックネームがチーム名の由来になったケースは球史でもこれだけ。また、一説によればカツカレーを最初に考案した人物であるとも言われている。
▼9位:"のび太くん"古田敦也(元ヤクルト)
強肩強打に卓越したインサイドワークで、90~2000年代にかけて君臨した"球界最高捕手"にはあまりそぐわないが、若手時代には本当にこう呼ばれていた。メガネをかけたスリムな風体がとても似ていたからである。もちろん、のび太君には未来から来たネコ型ロボットが不可欠。彼とセットで"ドラえもん"と呼ばれたのは、当時ヤクルトの監督を務め、捕手の先達として古田を指導した故・野村克也氏である。
▼8位:"8時半の男"宮田征典(元巨人)
巨人のV9時代初期に活躍したクローザーの先駆け。8時半頃の登場が多かったためにこう呼ばれた。心臓に疾患を抱え、長いイニングが投げられなかったが、65年は抑えとしてフル回転。救援ながら20勝、現行の規定に照らすと22セーブを挙げる活躍ぶりだった。なお、昨年の1試合平均試合時間は3時間22分。6時開始でも8時半はまだ6回あたりか。
▼10位:"猛牛"千葉茂(元巨人)
一見鈍重な風貌ながら、ニックネームの由来ともなった闘志あふれるプレースタイルで1940~50年代に人気を博したスター二塁手。58年に近鉄の監督に就任した際は、その人気にあやかってチーム名が「パールス」から「バファロー」へ変更されたほどだった。選手個人のニックネームがチーム名の由来になったケースは球史でもこれだけ。また、一説によればカツカレーを最初に考案した人物であるとも言われている。
▼9位:"のび太くん"古田敦也(元ヤクルト)
強肩強打に卓越したインサイドワークで、90~2000年代にかけて君臨した"球界最高捕手"にはあまりそぐわないが、若手時代には本当にこう呼ばれていた。メガネをかけたスリムな風体がとても似ていたからである。もちろん、のび太君には未来から来たネコ型ロボットが不可欠。彼とセットで"ドラえもん"と呼ばれたのは、当時ヤクルトの監督を務め、捕手の先達として古田を指導した故・野村克也氏である。
▼8位:"8時半の男"宮田征典(元巨人)
巨人のV9時代初期に活躍したクローザーの先駆け。8時半頃の登場が多かったためにこう呼ばれた。心臓に疾患を抱え、長いイニングが投げられなかったが、65年は抑えとしてフル回転。救援ながら20勝、現行の規定に照らすと22セーブを挙げる活躍ぶりだった。なお、昨年の1試合平均試合時間は3時間22分。6時開始でも8時半はまだ6回あたりか。