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プロ野球

ロッテ和田だけじゃない!華麗にダイヤモンドを駆け抜けた“走塁のスペシャリスト”たち

SLUGGER編集部

2020.08.19

通算代走盗塁の日本記録を持つ鈴木。規定打席到達は1度もなかったが、05~16年に12年連続2ケタ盗塁を決めている。写真:産経新聞社

通算代走盗塁の日本記録を持つ鈴木。規定打席到達は1度もなかったが、05~16年に12年連続2ケタ盗塁を決めている。写真:産経新聞社

 和田康士朗(ロッテ)が16日に1試合3盗塁を決め、12盗塁でリーグトップタイに立った。このうち8つは代走で出場して決めたもの。高校時代は野球部ではなく陸上部だったという彼は、まさに“足のスペシャリスト”である。今回は彼のように、足でファンを沸かせた歴代の“走塁のスペシャリスト”たちを紹介しよう。

▼飯島秀雄(元ロッテ)
 1968年のドラフトで東京オリオンズ(現ロッテ)が飯島を9位で指名した際は誰もが耳を疑った。それもそのはず、彼は前年のメキシコ五輪では10秒3の日本記録を樹立した陸上100メートルの選手だったからだ。派手なやり方を好み、“ラッパ”の愛称で知られた永田雅一オーナーの奇策であった。野球経験は中学時代の軟式のみだったという飯島はプロ入り後、一切打席に立たず“代走専門選手”としてプレーしたが、陸上と野球の走塁ではやはり勝手が違うのか、通算23盗塁で失敗17、成功率57.5%とイマイチで、わずか3年で引退。ただし、彼が塁上にいた際の打者の打率は.424。投手の集中力を奪う役割は存分に果たしていたようだ。
 
▼盛田嘉哉(元中日)
 社会人を経て大学進学、という普通とは逆の進路を辿った森田は、名城大時代の打撃成績は通算74試合で打率.261、2本塁打と平凡な一方、現在も愛知大学野球リーグ記録として残る108盗塁と走りまくった。これが中日の目に留まり、70年のドラフト7位で指名された。プロ1年目の71年は代走専門選手として26試合に出場し11盗塁を記録したが、8月に“商売道具”でもある左足を複雑骨折してシーズン終了。その後遺症でプロ生活はわずか4年と短命に終わったものの、通算51試合にすべて代走で出場して16盗塁を決めた。

▼藤瀬史郎(元近鉄)
 史上最高の“走塁のスペシャリスト”といえば、この藤瀬だろう。大阪体育大の野球部でプレーしていたが、当初は体育教師を志望。だが、採用試験に落ちて冷やかしのつもりで近鉄の入団テストを受けたら見事に合格してしまい、ドラフト外で入団した。当時の西本幸雄監督に俊足を評価されて代走のスペシャリストとして活躍し、79年にはシーズン代走盗塁25の最多記録を樹立。同年の広島との日本シリーズ第7戦における伝説の“江夏の21球”で、スクイズ失敗で刺されたのがこの藤瀬である。歴代2位の通算105代走盗塁、成功率82.0%と極めて高い数値を誇る一方、通算247打席に立って45安打、本塁打も4本放つなど、決して代走だけの選手ではなかった。
 

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