「藤川球児、今季限りで現役引退」――31日、衝撃のニュースが飛び込んできた。阪神の谷本修球団本部長がオンライン会見を開き、「藤川球児選手が今シーズン限りでの現役引退の申し出を受けまして、球団としてそれを了承したことを報告します」と発表。日米通算245セーブの大クローザーの現役生活に終止符が打たれることになった。
これまで積み上げてきたセーブ数(日本で243個、メジャーで2個)だけ見ても、藤川球児という選手が球史に残る稀有な存在だということは分かる。しかし、改めてそのキャリアを振り返ってみると、藤川の周りにはいつも偉大な「数字」があった。
2004年途中からリリーフに転向した藤川は05年から背番号を「22」に変更すると、“火の玉ストレート”が完全開花。ジェフ・ウィリアムズ、久保田智之と組んだ「JFK」の一角としてセットアップを務めると、【プロ野球新記録の17試合連続ホールド】を達成し、年間を通しても当時の【シーズン記録となる53ホールドポイント】、【80試合登板】という驚異的な数字を残した。
もっとも、これは“球児伝説”の序章に過ぎなかった。翌06年、藤川は4月15日の広島戦から1点も許すことなく、5月も13試合(17.0回)無失点、そして6月も13試合(15.0回)無失点で豊田清が持つ34試合連続無失点のプロ野球記録に並ぶ。そして7月4日の横浜戦で更新し、11日には【球団新記録の47イニング連続無失点】を達成。最終的に【38試合連続無失点】まで記録を伸ばした。このストリークが止まったのは12日、奇しくも記録が始まったのと同じ広島戦だった。
07年にはクローザー・藤川の存在は絶対的なものになり、この年は当時の日本タイ記録にして現在も岩瀬仁紀と分け合う【セ・リーグ記録の46セーブ】をマークした。もっとも、最多セーブのタイトル獲得はこの年と11年(41個)の2回だけというのは、彼の実績を考えると意外に少ないかもしれない。
11年にも藤川は偉大な記録を打ち立てた。8月25日の巨人戦で通算100ホールドを記録し、【プロ野球史上初となる100ホールド&100セーブ】を達成したのだ。 昨年には、プロ野球、そしてメジャーを含めても初となる【150ホールド&150セーブ】を達成。今季37ホールドを記録できていれば、夢の“200-200”も可能だっただけに、つくづく引退が惜しまれる。
藤川といえば、浮き上がって見える“火の玉ストレート”とフォークで打者を牛耳るスタイルだ。当然、奪三振に関する記録も持っている。17年5月30日のロッテ戦では【史上最速での1000奪三振】を達成した。
771.2回での到達は1993年の野茂英雄(871.0回)を100イニング近く更新するスピード記録となったわけだが、この時点での奪三振率(9イニング平均の奪三振数)11.66は1000奪三振以上の146人でダントツ1位。2位の野茂が10.31、3位の杉内俊哉も9.28なのだから、先発・救援の違いはあれど、その球威がいかに傑出したものかが分かるだろう。
また、今季の炎上によって通算防御率は2.08へと悪化したが、通算500試合以上の投手では歴代4位に位置し、通算100セーブ以上の33人中でもサファテに次ぐ2位。その安定感も桁外れの存在だった。
記録に愛され続けてきた男・藤川球児。その彼が、たった5セーブ足らずに史上4人目の250セーブを逃すのか……。記録の神様がいるのなら、藤川にもう一度、最後のマイルストーンに到達するチャンスを与えてほしい。
構成●SLUGGER編集部
これまで積み上げてきたセーブ数(日本で243個、メジャーで2個)だけ見ても、藤川球児という選手が球史に残る稀有な存在だということは分かる。しかし、改めてそのキャリアを振り返ってみると、藤川の周りにはいつも偉大な「数字」があった。
2004年途中からリリーフに転向した藤川は05年から背番号を「22」に変更すると、“火の玉ストレート”が完全開花。ジェフ・ウィリアムズ、久保田智之と組んだ「JFK」の一角としてセットアップを務めると、【プロ野球新記録の17試合連続ホールド】を達成し、年間を通しても当時の【シーズン記録となる53ホールドポイント】、【80試合登板】という驚異的な数字を残した。
もっとも、これは“球児伝説”の序章に過ぎなかった。翌06年、藤川は4月15日の広島戦から1点も許すことなく、5月も13試合(17.0回)無失点、そして6月も13試合(15.0回)無失点で豊田清が持つ34試合連続無失点のプロ野球記録に並ぶ。そして7月4日の横浜戦で更新し、11日には【球団新記録の47イニング連続無失点】を達成。最終的に【38試合連続無失点】まで記録を伸ばした。このストリークが止まったのは12日、奇しくも記録が始まったのと同じ広島戦だった。
07年にはクローザー・藤川の存在は絶対的なものになり、この年は当時の日本タイ記録にして現在も岩瀬仁紀と分け合う【セ・リーグ記録の46セーブ】をマークした。もっとも、最多セーブのタイトル獲得はこの年と11年(41個)の2回だけというのは、彼の実績を考えると意外に少ないかもしれない。
11年にも藤川は偉大な記録を打ち立てた。8月25日の巨人戦で通算100ホールドを記録し、【プロ野球史上初となる100ホールド&100セーブ】を達成したのだ。 昨年には、プロ野球、そしてメジャーを含めても初となる【150ホールド&150セーブ】を達成。今季37ホールドを記録できていれば、夢の“200-200”も可能だっただけに、つくづく引退が惜しまれる。
藤川といえば、浮き上がって見える“火の玉ストレート”とフォークで打者を牛耳るスタイルだ。当然、奪三振に関する記録も持っている。17年5月30日のロッテ戦では【史上最速での1000奪三振】を達成した。
771.2回での到達は1993年の野茂英雄(871.0回)を100イニング近く更新するスピード記録となったわけだが、この時点での奪三振率(9イニング平均の奪三振数)11.66は1000奪三振以上の146人でダントツ1位。2位の野茂が10.31、3位の杉内俊哉も9.28なのだから、先発・救援の違いはあれど、その球威がいかに傑出したものかが分かるだろう。
また、今季の炎上によって通算防御率は2.08へと悪化したが、通算500試合以上の投手では歴代4位に位置し、通算100セーブ以上の33人中でもサファテに次ぐ2位。その安定感も桁外れの存在だった。
記録に愛され続けてきた男・藤川球児。その彼が、たった5セーブ足らずに史上4人目の250セーブを逃すのか……。記録の神様がいるのなら、藤川にもう一度、最後のマイルストーンに到達するチャンスを与えてほしい。
構成●SLUGGER編集部