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プロ野球

杉浦4連投4連勝に“ONミレニアム対決”……数多くの名場面を生んだ巨人vsホークスの日本シリーズ

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2020.11.21

20世紀最後の日本シリーズで、長嶋(右)と王(左)が巨人とホークスの監督として対決した。写真:産経新聞社

20世紀最後の日本シリーズで、長嶋(右)と王(左)が巨人とホークスの監督として対決した。写真:産経新聞社

 今年の日本シリーズは、昨年に続いて巨人対ソフトバンクの顔合わせとなった。ソフトバンクの前身となる南海・ダイエー時代も含め、ジャイアンツとホークスの対決は実に12回目。これは史上最多の回数で、両者の対決はこれまでさまざまなドラマを生んできた。今日はその中から厳選した4つの名勝負を紹介しよう。

▼1959年 南海(4勝)-巨人(0勝)
 南海はこの年までに4度日本シリーズへ進出しながら、すべて巨人に敗れて日本一を逃していた。苦杯をなめ続けた南海・鶴岡一人監督の「打倒巨人」へ懸ける思いは並々ならぬものがあった。

 第1戦、南海はレギュラーシーズンで38勝を挙げた杉浦忠が先発し、8回3失点と好投して1勝。翌日の第2戦も5回からマウンドに上がって勝利投手になった杉浦は、さらに第3戦でも延長10回を一人で投げ抜き、チームは3連勝で王手をかけた。

 そして第4戦。何としても日本一を果たしたい鶴岡監督は、またも杉浦の先発を決断。連投の影響で右手のマメが潰れ、白球を血に染めながらも杉浦は力投し、何と巨人打線を完封する。4連投4連勝の離れ業でチームを初の日本一へと導いた杉浦は、鶴岡監督とともに胴上げされた。シリーズ終了後に大阪市内で行われた優勝パレードでは、鶴岡監督が2年前に亡くなった妻の位牌を抱きながら、集まった20万人のファンに涙ながらに手を振り、“涙の御堂筋パレード”として今も語り継がれている。
 
▼1961年 巨人(4勝)-南海(2勝)
“涙の御堂筋”から2年後。血行障害でシーズン途中に離脱した杉浦に代わり、エースとしてチームを支えたのが、前年からチームに加わった助っ人外国人のジョー・スタンカだった。最終的にこのシリーズ6戦中5戦に登板するスタンカは、第1戦で完封劇を演じたがが、第4戦で事件が起こった。

 試合は9回表まで南海が3対2とリード。9回裏、無死一塁の場面で登板したスタンカは順調に2アウトを取ったが、続く2人の打者がエラーで出塁して満塁になってしまった。それでも、次打者の宮本敏雄を1-2と追い込み、4球目を低めのきわどいコースにズバッと決めたスタンカは、三振でゲームセットと確信してマウンドを降りかけた……ところが、円城寺満球審の判定は「ボール」。

 これにはスタンカと野村克也のバッテリーも激昂して円城寺球審に詰め寄ったが、判定は覆らなかった。その後、カッカしたままスタンカが投じた直球を、宮本のバットが一閃。これがライト線への2点タイムリーとなり、南海はサヨナラ負けで王手をかけられた。スタンカは続く第5戦で怒りの完投勝利を収めるが、第6戦ではリリーフで登板して敗戦投手となり、巨人に目の前で胴上げを許す結果に。「円城寺 あれがボールか 秋の空」。シリーズ後に流行した作者不詳のこの一句が、南海ファンの心情を表わしていた。
 

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