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プロ野球

いつの日か「夢の170キロ」へ?小松、槙原、郭、伊良部、大谷…日本プロ野球史上最速投手の変遷

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2021.03.06

アメリカ人の父を持つハーフであり、193センチ、108キロの恵まれた体格を持っていた伊良部は、大谷登場以前は160キロに最も近い日本人投手だった。写真:産経新聞社

アメリカ人の父を持つハーフであり、193センチ、108キロの恵まれた体格を持っていた伊良部は、大谷登場以前は160キロに最も近い日本人投手だった。写真:産経新聞社

 今季こそ二刀流の完全復活が期待される大谷翔平(エンジェルス)が、春季キャンプで早くも100マイル(160キロ)を計測して復調ぶりをアピールしている。思い返せば、大谷が日本プロ野球史上最速の165キロを叩き出したのは、2016年10月16日、ソフトバンクとのCS最終ステージ第5戦でのことだった。

 時速165キロ。150キロですら「剛速球」の部類に入る中で、この数字は規格外というしかない。だが同時に、この数字は投手にとっての一つの到達点でもある。トレーニング法が改良されていき、また、選手の体格も大型化していく中で、投手の球速はこれまでずっと上昇を続けてきたからだ。

 今日ではすっかり一般的となったスピードガンが、日本に伝来したのは1970年代のこと。79年にはテレビ中継で投手の球速が表示されるようになり、それまであやふやだった投手の「球の速さ」に、極めて明確な基準が与えられた。中でも中日の小松辰雄は150キロ台を連発して“スピードガンの申し子”と呼ばれ、この時代の代表的なスターの一人となった。その後、80年代には同じく中日の鈴木孝政や、巨人の江川卓や槙原寛己といった豪腕たちが「150キロ」のを叩き出し、徐々にその数字が“剛速球”の基準として認知されていった。

 とはいえ、彼ら80年代屈指の豪腕たちにとっても、160キロともなれば夢のまた夢。槙原が83年に記録した155キロが、しばらくの間は最速記録だった。この記録は85年に台湾から来た“オリエンタル・エクスプレス”、郭泰源(西武)が156キロを叩き出して塗り替えた。郭は5年にわたって“史上最速投手”であり続けたが、90年に当時ルーキーだった与田剛(中日)が157キロでこれを更新した。
 
 そして93年、伊良部秀輝(ロッテ)の登場で、最速記録は重大なチェックポイントを迎えることになる。5月3日、伊良部は清原和博(当時西武)との対戦でプロ野球新の158キロを計測。この記録はその後20年以上も更新されることがなかった。00年代に入って山口和男(オリックス)や五十嵐亮太(ヤクルト)がこの数字に並びはしたものの、抜くことまではできなかった。

 日本プロ野球史に「160」の数字が初めて登場するのは、05年のことである。この年、「160キロ右腕」という触れ込みで横浜へ入団したマーク・クルーンが、7月19日の対阪神戦で赤星憲広相手に161キロを投じたのだ。その後も160キロの大台を連発したクルーンは08年に162キロを計測して自らの最速記録を塗り替える。大谷が163キロを計測してこの記録を塗り替えるのは、8年後の16年のことである。

 現在では、160キロを投げられる日本人投手は大谷だけではなくなっている。公式戦で160キロ台を投げたのは、藤浪晋太郎(阪神/最速162キロ)、千賀滉大(ソフトバンク/最速161キロ)、国吉佑樹(DeNA/最速161キロ)、平良海馬(西武/最速160キロ)と4人もいるし、この先まだまだ増えるだろう。

 なお、日本以上に160キロを投げる投手が珍しくないMLBの最速記録は、アロルディス・チャップマン(当時レッズ/現ヤンキース)が10年9月24日に記録した105.1マイル(約169.1キロ)だ。いつの日か日本にも、この数字を超える夢の170キロを投げる投手が現れると信じたい。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)

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