今月19日に開幕する選抜高校野球。これまでも多くの名選手が登場したが、年間300試合以上を現地で取材するスポーツライターの西尾典文氏に、これまで見た試合で強烈なインパクトを残した現役選手(メジャーを含む)を投手、野手それぞれ5人ずつ振り返ってもらった。今回はまず投手編だ。
◆ ◆ ◆
自分がアマチュア野球の現場で本格的に取材を始めたのは2002年から。それ以降の選抜高校野球に出場した投手で、真っ先に思い出されるのが2004年のダルビッシュ有(東北・現パドレス)だ。
ダルビッシュは中学時代からすでに評判の選手で、この大会までにも現場で何度も投球を見ていたが、2年秋までは身体的な不安からか、手を抜いたような変化球でかわすことが多く、正直凄みを感じることはほとんどなかった。しかし、この大会の初戦、熊本工戦では初回から9回まで常に安定したピッチングを披露。最後まで1本のヒットを許すことなく、ノーヒットノーランを達成して見せた。
ちなみに甲子園大会ではこれ以降、ノーヒッターは記録されていない。ただこの時も球威で圧倒するというよりも、ストレートをうまく見せ球にして、変化球を低めに集める器用さが光っていた。本人も自身のことを"変化球投手"と語っているが、その言葉通りのピッチングだったと言えるだろう。
逆に、ボールの力で圧倒的なインパクトを残したのが、2009年の菊池雄星(花巻東・現マリナーズ)だ。特に圧巻だったのが初戦の鵡川戦。最速150キロをマークしたストレートと打者の手元で鋭く変化するスライダーを武器に、9回1死までノーヒットピッチング。最終的にはそこから2安打を許して大記録は逃したものの、まったく打たれる気配が感じられなかった。この年の夏には155キロもマークしたが力みが目立ち、春の鵡川戦がベストピッチだったという印象だ。
「大会を通じて最も安定していた投手」となると、2009年にその菊池に投げ勝って優勝投手となった今村猛(清峰・現広島)である。現地でピッチングを見た初戦の日本文理戦と2回戦の福知山成美戦はいずれも2ケタ奪三振で完封。ただ、鵡川戦の菊池のように常に相手打線を圧倒していたわけではない。走者がいない場面では6~7割程度の力で投げ、ピンチになるとギアを上げていた。
2番手以下の投手の力が落ち、一人で投げ抜く必要があったためこのようなピッチングになったのだろうが、それでも最後までホームを踏ませない姿は、菊地にはない大人の部分が感じられた。結局5試合でマウンドを譲ったのは準々決勝の箕島戦の9回だけで、大会を通じて44回を投げて1失点という文句のつけようのない成績で優勝。ちなみに甲子園で公立高校が優勝したのはこの時の清峰が最後である。
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自分がアマチュア野球の現場で本格的に取材を始めたのは2002年から。それ以降の選抜高校野球に出場した投手で、真っ先に思い出されるのが2004年のダルビッシュ有(東北・現パドレス)だ。
ダルビッシュは中学時代からすでに評判の選手で、この大会までにも現場で何度も投球を見ていたが、2年秋までは身体的な不安からか、手を抜いたような変化球でかわすことが多く、正直凄みを感じることはほとんどなかった。しかし、この大会の初戦、熊本工戦では初回から9回まで常に安定したピッチングを披露。最後まで1本のヒットを許すことなく、ノーヒットノーランを達成して見せた。
ちなみに甲子園大会ではこれ以降、ノーヒッターは記録されていない。ただこの時も球威で圧倒するというよりも、ストレートをうまく見せ球にして、変化球を低めに集める器用さが光っていた。本人も自身のことを"変化球投手"と語っているが、その言葉通りのピッチングだったと言えるだろう。
逆に、ボールの力で圧倒的なインパクトを残したのが、2009年の菊池雄星(花巻東・現マリナーズ)だ。特に圧巻だったのが初戦の鵡川戦。最速150キロをマークしたストレートと打者の手元で鋭く変化するスライダーを武器に、9回1死までノーヒットピッチング。最終的にはそこから2安打を許して大記録は逃したものの、まったく打たれる気配が感じられなかった。この年の夏には155キロもマークしたが力みが目立ち、春の鵡川戦がベストピッチだったという印象だ。
「大会を通じて最も安定していた投手」となると、2009年にその菊池に投げ勝って優勝投手となった今村猛(清峰・現広島)である。現地でピッチングを見た初戦の日本文理戦と2回戦の福知山成美戦はいずれも2ケタ奪三振で完封。ただ、鵡川戦の菊池のように常に相手打線を圧倒していたわけではない。走者がいない場面では6~7割程度の力で投げ、ピンチになるとギアを上げていた。
2番手以下の投手の力が落ち、一人で投げ抜く必要があったためこのようなピッチングになったのだろうが、それでも最後までホームを踏ませない姿は、菊地にはない大人の部分が感じられた。結局5試合でマウンドを譲ったのは準々決勝の箕島戦の9回だけで、大会を通じて44回を投げて1失点という文句のつけようのない成績で優勝。ちなみに甲子園で公立高校が優勝したのはこの時の清峰が最後である。