アスリートの引退に際しては、積み上げてきた実績、手にしてきたタイトルとともに、“残したもの”も脚光を浴びる。オリックス・バファローズの能見篤史投手兼任コーチの現役引退もそうだった。
一報を受け、古巣である阪神タイガースの“教え子”たちはベテラン左腕と過ごした時間、そして刻まれた教えを、それぞれが思い返していた。プロ9年目、いまやチームの扇の要に成長を遂げた梅野隆太郎は「気持ちと、心の支えになった」と、現役を退く左腕の存在の大きさを口にした。
プロの扉を開けた14年、能見はすでに阪神先発投手陣の中心にいた。大卒ながらルーキーイヤーから1軍でマスクを被った梅野だが、エース左腕と組んだ4度の先発バッテリーの機会では1つも白星を挙げられなかった。
「自分の出すサインに首を振られたこともたくさんあった。それで打たれたし、抑えた時もあったけど能見さんに気持ち良く投球してもらえなかったとか、自分の中で反省する部分はすごくあった」
この勝てなかった記憶は、プロ1年目、実績も経験も遥か上をいくベテランとの壁になってもおかしくなかった。だが、梅野は“距離”を縮めにいった。「先発投手とコミュニケーションを取りたい」という一心で2年目のオフに、能見の合同自主トレに志願。沖縄で約3週間、グラウンド内外で行動をともにした。
トレーニングはもちろん、梅野にとって何よりも「プロの捕手」としての血肉となったのは、毎晩やってくる食事の席だ。何年経っても忘れない、今では「原点」と言っていい。そんな言葉を受け取っていた。
「盗塁を刺したり、ワンバウンドを止めることがどれだけ投手はありがたいか、という話をしてもらった。ピッチャーも生活がかかっている。そういう部分でバッテリーの信頼感も生まれてくる」
梅野の唯一無二の武器であるボールを逸らさないブロッキング力は、能見の言葉もあって磨かれていった。
藤浪晋太郎は、同じ投手……いや、「先発投手」として背中を追いかけてきた。先輩左腕を語る時に必ず口にする「僕の中でエースと言えば能見さん」という言葉は、18歳でタテジマに袖を通した時からずっと高みにいたからこそ滲み出る。
「エースの指針は、僕の中でずっと能見さんなんですよね。(ベテランの)あの歳であれだけ走れるのもすごい。アスリートとしてあるべき姿を教えてもらいました」
投げる以外の部分でも感化された。「能見さんがヒットやホームランを打ちたいと言ってるのを横で聞いていて、セ・リーグの投手とはそうなんだと思いました」と語る藤浪は、試合前練習を終えると、人知れず室内練習場でマシンと向き合い快音を響かせていた背番号14を目にしてきた。
能見は藤浪が1年目の2013年5月6日の巨人戦でプロ初本塁打を放ち、完投勝利を挙げる離れ業をやってのけた。後輩も続くように2年目の14年にプロ初アーチ、18年にはグランドスラム、そして昨年は甲子園で初の放物線を描いて勝利投手に輝いた。
2人がにじませる“フルスイングの系譜”は、決して偶然ではないのだろう。
一報を受け、古巣である阪神タイガースの“教え子”たちはベテラン左腕と過ごした時間、そして刻まれた教えを、それぞれが思い返していた。プロ9年目、いまやチームの扇の要に成長を遂げた梅野隆太郎は「気持ちと、心の支えになった」と、現役を退く左腕の存在の大きさを口にした。
プロの扉を開けた14年、能見はすでに阪神先発投手陣の中心にいた。大卒ながらルーキーイヤーから1軍でマスクを被った梅野だが、エース左腕と組んだ4度の先発バッテリーの機会では1つも白星を挙げられなかった。
「自分の出すサインに首を振られたこともたくさんあった。それで打たれたし、抑えた時もあったけど能見さんに気持ち良く投球してもらえなかったとか、自分の中で反省する部分はすごくあった」
この勝てなかった記憶は、プロ1年目、実績も経験も遥か上をいくベテランとの壁になってもおかしくなかった。だが、梅野は“距離”を縮めにいった。「先発投手とコミュニケーションを取りたい」という一心で2年目のオフに、能見の合同自主トレに志願。沖縄で約3週間、グラウンド内外で行動をともにした。
トレーニングはもちろん、梅野にとって何よりも「プロの捕手」としての血肉となったのは、毎晩やってくる食事の席だ。何年経っても忘れない、今では「原点」と言っていい。そんな言葉を受け取っていた。
「盗塁を刺したり、ワンバウンドを止めることがどれだけ投手はありがたいか、という話をしてもらった。ピッチャーも生活がかかっている。そういう部分でバッテリーの信頼感も生まれてくる」
梅野の唯一無二の武器であるボールを逸らさないブロッキング力は、能見の言葉もあって磨かれていった。
藤浪晋太郎は、同じ投手……いや、「先発投手」として背中を追いかけてきた。先輩左腕を語る時に必ず口にする「僕の中でエースと言えば能見さん」という言葉は、18歳でタテジマに袖を通した時からずっと高みにいたからこそ滲み出る。
「エースの指針は、僕の中でずっと能見さんなんですよね。(ベテランの)あの歳であれだけ走れるのもすごい。アスリートとしてあるべき姿を教えてもらいました」
投げる以外の部分でも感化された。「能見さんがヒットやホームランを打ちたいと言ってるのを横で聞いていて、セ・リーグの投手とはそうなんだと思いました」と語る藤浪は、試合前練習を終えると、人知れず室内練習場でマシンと向き合い快音を響かせていた背番号14を目にしてきた。
能見は藤浪が1年目の2013年5月6日の巨人戦でプロ初本塁打を放ち、完投勝利を挙げる離れ業をやってのけた。後輩も続くように2年目の14年にプロ初アーチ、18年にはグランドスラム、そして昨年は甲子園で初の放物線を描いて勝利投手に輝いた。
2人がにじませる“フルスイングの系譜”は、決して偶然ではないのだろう。