WBC日本代表合宿の2日目は、初日を超える1万9000人の観衆がサンマリスタジアム宮崎スタジアムを訪れ、改めてコロナウイルスの収束を感じさせた。
観客はマスクの着用を求められ、マスコミにはPCR検査の陰性証明の提出が義務付けられるなどの制限はいまだにある。しかし、少しずつ「コロナ以前」のスタジアムの風景が戻りつつある。
2020年からの3年間で、今を生きる我々にとってはたくさんのものが失われた。一方で、新しいものも生み出された期間でもあった。
コロナ禍の影響をもろに受け、それでも立ち上がり、見事に侍ジャパンのメンバー入りを果たした選手がいる。最年少20歳で代表に抜擢された高橋宏斗(中日)だ。
19年、中京大中高の2年生だった高橋宏は秋、愛知・東海大会を制すると、明治神宮大会に出場。そこでも圧巻の投球でこの世代最初の王者になった。ストレートを軸とした高橋のピッチングは見る者を魅了し、「松坂大輔の再来」とまで言われたほどだった。
迎えた20年は、高橋宏の年になるはずだった。
ところが、センバツの出場校として承認され、大会に備えていたところで新型コロナウイルスが日本中に蔓延。センバツは中止となった。その後、全世界がパンデミックとなり、夏の甲子園も中止に。「2020年世代」は、高校生にとって大切な時期を奪われてしまったのだった。
「悔しさはずっとありますけど、でも、甲子園中止が僕にとっては悪いことだとは思っていない」
彼のそんな言葉を聞いていると、あの日のことが甦ってきた。
20年の夏、センバツ大会の出場が決まっていたチームを甲子園に招いてワンマッチの試合を行なう「甲子園交流大会」が開催された。
8月12日、智弁学園と対戦した高橋宏は、強力打線を相手にストレートを主体としたピッチングを披露。延長10回までもつれた試合で11三振の完投勝利を挙げたのだった。この時のストレートは最速153キロを計測し、多くが145キロを超えた。翌夏の甲子園で準優勝し、阪神入りした前川右京が「球速だけでなく、キレもボールの回転数もレベルが違った」と舌を巻いたほどだ。
観客はマスクの着用を求められ、マスコミにはPCR検査の陰性証明の提出が義務付けられるなどの制限はいまだにある。しかし、少しずつ「コロナ以前」のスタジアムの風景が戻りつつある。
2020年からの3年間で、今を生きる我々にとってはたくさんのものが失われた。一方で、新しいものも生み出された期間でもあった。
コロナ禍の影響をもろに受け、それでも立ち上がり、見事に侍ジャパンのメンバー入りを果たした選手がいる。最年少20歳で代表に抜擢された高橋宏斗(中日)だ。
19年、中京大中高の2年生だった高橋宏は秋、愛知・東海大会を制すると、明治神宮大会に出場。そこでも圧巻の投球でこの世代最初の王者になった。ストレートを軸とした高橋のピッチングは見る者を魅了し、「松坂大輔の再来」とまで言われたほどだった。
迎えた20年は、高橋宏の年になるはずだった。
ところが、センバツの出場校として承認され、大会に備えていたところで新型コロナウイルスが日本中に蔓延。センバツは中止となった。その後、全世界がパンデミックとなり、夏の甲子園も中止に。「2020年世代」は、高校生にとって大切な時期を奪われてしまったのだった。
「悔しさはずっとありますけど、でも、甲子園中止が僕にとっては悪いことだとは思っていない」
彼のそんな言葉を聞いていると、あの日のことが甦ってきた。
20年の夏、センバツ大会の出場が決まっていたチームを甲子園に招いてワンマッチの試合を行なう「甲子園交流大会」が開催された。
8月12日、智弁学園と対戦した高橋宏は、強力打線を相手にストレートを主体としたピッチングを披露。延長10回までもつれた試合で11三振の完投勝利を挙げたのだった。この時のストレートは最速153キロを計測し、多くが145キロを超えた。翌夏の甲子園で準優勝し、阪神入りした前川右京が「球速だけでなく、キレもボールの回転数もレベルが違った」と舌を巻いたほどだ。