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抵抗運動も空しくオークランドからの移転が決定、「身売りしろTシャツ」もまばらに...A'sファンに漂う“諦念感”<SLUGGER>

豊浦彰太郞

2024.07.05

オークランドでの最終年も球場では閑古鳥が鳴く。来季からの3年間はサクラメントの球場を間借りする。(C)Getty Images

 現地時間6月23日(日)、試合前のオークランド・コロシアムのフィールドに大きな「1974」のサインが立てられた。1972~74年のアスレティックスのワールドシリーズ3連覇50周年を記念したイベントが、当時の選手たち11名らが参列した開催されたのだ。

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 日本流に言えば胴上げ投手で後に殿堂入りしたローリー・フィンガースがその瞬間を述懐するスピーチを披露し、「ファースト・ピッチ」を投じた。しかし、それはV3戦士がオークランドに別れを告げる「ファイナル・ピッチ」でもあった。

 7月1日に山開きした富士山では弾丸登山が問題となっているが、ぼくの場合は弾丸観戦だ。6月22、23日のアスレティックスのツインズ戦2試合を観戦し、23日の深夜便で帰国した。8月と9月にも同じ"弾丸オークランド詣"を予定している。日本からの距離を考えると、もはや「足繁く通う」としても盛りすぎではないだろう。

 これも、今季限りでA'sが1968年から使用するコロシアムを去り、約140km北東のサクラメントに転出するからだ。そのサクラメントも仮住まいで、2028年にはラスベガスに完成する新球場に移転することが決まっている。

 A'sのオークランドでの57年の歴史はまさに波瀾万丈だった。1970年代前半と80年代後半に黄金期があり、2000年代に入ると"マネーボール"で旋風を巻き起こした。しかし、それらの間には短くない低迷期と主力選手のファイヤーセール、深刻な観客動員難があった。その間にコロシアムは老朽化。新球場計画が出ては消え、結局移転となった。コロシアムのリース契約は今季限りで終了。地元ファンはベガス移転までの3年間の契約延長に一縷の望みを繋いだが、それも潰えた。
 MLBの歴史で本拠地移転の事例は多い。そのすべてに地元ファンの悲しみや痛みが伴っているが、オークランドも例外ではない。ファッションブランドGAP創業者の子息であるオーナーのジョン・フィッシャーは、移転を決意してからは目に余るほどの主力選手切り売りに出た。

 熱意ある一部の地元ファンは、昨年はファンのチームへのサポートを示す「逆ボイコット」を、今年は地元開幕戦で駐車場へ集結しながら入場はしない、というホントのボイコットを呼びかけて対抗した。また、「SELL」(身売りしろ)の文字が大きくプリントされたTシャツがプチブームになった。

 6月22日土曜日、午前10時にサンフランシスコ国際空港に到着したぼくは、ベイエリアをカバーするBARTという鉄道で、球場に隣接する「コロシアム駅」を目指した。週末のデーゲームということもあり、いつも閑古鳥のコロシアムとしては比較的マシな入りだった(公式発表は9299人)。

 チームは開幕直後は比較的健闘し、5月4日時点では勝率5割を維持していたが、それ以降は馬脚を露わにした。この試合前の時点では借金20でダントツの地区最下位。この試合もまさに実力通り(?)、2対10で大敗した。