7月16日(現地)に行われたオールスター・ゲームで、ドジャースの大谷翔平は2028年開催予定のロサンゼルス五輪に「出たい気持ちはもちろんある」と語った。オリンピックの開催時期は、MLBのペナントレースが佳境を迎える夏場と完全に重なるため、これまで一流のメジャーリーガーは一度も出場していない。しかしながら、アマチュアやマイナー時代などに五輪の舞台で輝いた経験を持つ選手は存在する。オリンピックで活躍した5人のメジャーリーガーを、ランキング形式で紹介しよう。
【PHOTO】MLBオールスター恒例の“レッドカーペット・ショー”に揃って登場!大谷翔平&真美子夫妻の厳選ショット!
▼第5位:クリス・オクスプリング(2004年アテネ大会)
野球先進国とは言えないオーストラリアだが、このアテネ大会では見事、銀メダルを手にした。その立役者となったのがオクスプリング。04年当時はパドレスの3A所属で、代表チームに加わると準決勝の日本戦では松坂大輔と投げ合い好投。初めてオールプロで編成され、城島健司、福留孝介ら将来のメジャーリーガー3人を擁する強力打線を6.2回無失点に封じた。
その後を受けたジェフ・ウィリアムス(当時阪神)も1点も許さず、1対0で優勝候補を倒す金星を挙げた。オクスプリングは翌05年パドレスに昇格するも、メジャーで投げたのは5試合だけ。06年は阪神入りしてウィリアムスと共闘した。 ▼第4位:ジム・アボット(1988年ソウル大会)
84年のロサンゼルス大会で野球は公開競技として導入され、日本がアメリカを破って優勝。88年のソウル大会でも、再びアメリカ対日本の決勝戦となった。アメリカが先発マウンドに送ったのはミシガン大のアボット。生まれつき右手首から先のない隻腕投手ながら、この年のMLBドラフト1巡目全体8位でエンジェルスに指名されていた実力派だった。
決勝では押し出し四球を与えるなど本来の投球ではなかったものの、9回を投げきり3失点。ティノ・マルティネスが2本塁打を放つなど打線の援護もあり、5対3で日本を下した。89年にマイナーを経ずメジャーデビューを飾ったアボットは同年12勝、91年には18勝を挙げるなどして通算87勝。ヤンキース時代の93年にはノーヒットノーランを達成している。
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▼第5位:クリス・オクスプリング(2004年アテネ大会)
野球先進国とは言えないオーストラリアだが、このアテネ大会では見事、銀メダルを手にした。その立役者となったのがオクスプリング。04年当時はパドレスの3A所属で、代表チームに加わると準決勝の日本戦では松坂大輔と投げ合い好投。初めてオールプロで編成され、城島健司、福留孝介ら将来のメジャーリーガー3人を擁する強力打線を6.2回無失点に封じた。
その後を受けたジェフ・ウィリアムス(当時阪神)も1点も許さず、1対0で優勝候補を倒す金星を挙げた。オクスプリングは翌05年パドレスに昇格するも、メジャーで投げたのは5試合だけ。06年は阪神入りしてウィリアムスと共闘した。 ▼第4位:ジム・アボット(1988年ソウル大会)
84年のロサンゼルス大会で野球は公開競技として導入され、日本がアメリカを破って優勝。88年のソウル大会でも、再びアメリカ対日本の決勝戦となった。アメリカが先発マウンドに送ったのはミシガン大のアボット。生まれつき右手首から先のない隻腕投手ながら、この年のMLBドラフト1巡目全体8位でエンジェルスに指名されていた実力派だった。
決勝では押し出し四球を与えるなど本来の投球ではなかったものの、9回を投げきり3失点。ティノ・マルティネスが2本塁打を放つなど打線の援護もあり、5対3で日本を下した。89年にマイナーを経ずメジャーデビューを飾ったアボットは同年12勝、91年には18勝を挙げるなどして通算87勝。ヤンキース時代の93年にはノーヒットノーランを達成している。
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