プロ野球

【DeNA】「僕の頃は結果が出ませんでしたから」“ベイスターズを強くしたかった男・村田”が14年ぶりの古巣復帰で掴みに行くあの日の忘れ物

萩原孝弘

2025.03.19

14年ぶりに古巣の横浜に復帰した村田修一コーチ。写真:萩原孝弘

☆筒香が追いかけたキャプテンシー

 地元横浜で2連敗スタートも敵地福岡から息を吹き返し、リーグ3位からの下剋上日本一を果たした24年のベイスターズ。そこには17年の日本シリーズ経験者たちの緊急ミーティングが功を奏した事実があった。

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 その中心者は筒香嘉智。DeNA2代目キャプテンを務めていた男は、選手間での結束が必要と確信し、実行に移した。そこには「村田さんの背中を見て、ずっと憧れて、追いかけさせていただいていました。村田さんの時代はなかなか勝てなかったですけれども、そのときに勉強させていただいたことを、いまでもやらせていただいています」と当時の中心選手であった村田修一の立ち振舞いが根底にある。
 
☆暗黒時代に共闘した仲間の証言

『勝ちたい』。勝負の場に身を置く男たちの性。暗黒時代と言われるTBS時代に選手会長や主将を歴任した村田修一は、その立場からも勝利への執念は人一倍強かった。だがプロ野球は勝てば官軍の世界。それだけに暗黒時代と言われるTBS時代の横浜ベイスターズには、ネガティブなニュースが大半を占めていた。

 今季14年ぶりに古巣にコーチとして復帰した村田は当時、その立場ゆえに批判の矢面に立つことも多々あった。しかし当時のチームメイトで後輩でもある下園辰哉(現楽天コーチ)は「キャプテンって2パターンに分かれていると思うんですよ。言動で引っ張るタイプと、背中で引っ張るタイプに。でも村田さんは両方を持っているんですよ。言動ではキャンプとかのまとめなきゃいけない場面で、きちんとみんなの前で意見を発して。それで背中でもしっかりと結果を出して引っ張っていくんです。また食事でもグラウンドでも、後輩がやりやすい雰囲気づくりもやってくれてましたね」とキャプテンシーに感服。

 同じく藤田一也(現DeNAコーチ)は「本当にどうやったらこのチームは強くなるのかと考えて行動していましたよ。見た目は強面ですけれども、自分のことではなくて、まずチームのことを考えていましたね。自分がどうにかしないといけないっていう、責任感がすごかったです。面倒見がすごいいいので、ご飯にもよく誘っていただきましたけれども、常にチームのことを話していた印象が強いですね」と、フォア・ザ・チームに徹していたと証言する。

 また「大学からすぐプロに入ってレギュラー取って、選手上がってすぐコーチになる人って、わがまま言う人も結構いるらしいんです。けれども村田さんはそんなことはなく、裏方さんにもいいよいいよって接していたと聞きました」と巨人にコーチとして招かれた際のエピソードを披露。続けて「派手なところばかりではなく、独立リーグの大変な環境も経験されているので、そういう選手たちの気持ちもわかる。そのときには環境を少しでも良くしようと寄付したりもしていたと聞きました。その経験や気持ちを持って選手たちに伝えられることは、チームを強くするうえでも大きいことだと思いますよ」と頷いた。
 
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「あるがままで選手たちと接して、伝えたことを選手がどう取るかは選手に任せます」