引き分けの次に多いのは、チームが162試合を終えて他チームと首位に並び、タイブレイク・ゲームへ進んだケースだ。この試合はワンゲーム・プレーオフとも呼ばれるが、レギュラーシーズンにカウントされる。1962年のナ・リーグではロサンゼルス・ドジャースとサンフランシスコ・ジャイアンツが101勝61敗で並び、2戦先勝の3ゲーム・プレーオフが行われた。これにより、ドジャースにいたウイルスの出場試合は165試合となった。
残る一つは、移籍が理由だ。1976年に出場163試合のウィリー・モンタニエスは、6月にジャイアンツからアトランタ・ブレーブスへ移った。その時点でブレーブスが終えた試合数はジャイアンツよりも少なく、モンタニエスは移籍したことで「在籍チームの残り試合」が増加。ジャイアンツで60試合、ブレーブスで103試合に出場した。これは非常に珍しく、モンタネスの他には出場164試合のフランク・タベラス(1979年)と163試合のトッド・ジール(1996年)しかいない。
文●宇根夏樹
【著者プロフィール】
うね・なつき/1968年生まれ。三重県出身。『スラッガー』元編集長。現在はフリーライターとして『スラッガー』やYahoo! 個人ニュースなどに寄稿。著書に『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。
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残る一つは、移籍が理由だ。1976年に出場163試合のウィリー・モンタニエスは、6月にジャイアンツからアトランタ・ブレーブスへ移った。その時点でブレーブスが終えた試合数はジャイアンツよりも少なく、モンタニエスは移籍したことで「在籍チームの残り試合」が増加。ジャイアンツで60試合、ブレーブスで103試合に出場した。これは非常に珍しく、モンタネスの他には出場164試合のフランク・タベラス(1979年)と163試合のトッド・ジール(1996年)しかいない。
文●宇根夏樹
【著者プロフィール】
うね・なつき/1968年生まれ。三重県出身。『スラッガー』元編集長。現在はフリーライターとして『スラッガー』やYahoo! 個人ニュースなどに寄稿。著書に『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。
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