▼宇野勝(1993/中日→ロッテ)
81年の“ヘディング事件”の印象が強い宇野だが、通算338本塁打も記録したプロ野球史上屈指の攻撃型遊撃手である。85年の41本塁打は現在でも遊撃手歴代最多。また、守備も決して下手ではなく、強肩を生かしたダイナミックなプレーには定評があった。だが、92年は不振に苦しみ、その年のオフにロッテへトレード。当時、千葉に移転したばかりロッテにとっては、銚子商出身の宇野獲得で観客動員増につなげたい思惑もあった。だが、新天地でも復活はならず、94年オフに戦力外通告。現役続行を希望するも、獲得球団が現れず引退した。
▼高木豊(1994/横浜→日本ハム)
加藤博一、屋舗要とともに”スーパーカートリオ”を結成して80年代に一世を風靡した巧打の内野手。打率3割を8度も記録し、二塁と遊撃の双方でベストナインに選出されるなどチーム一の人気者だったが、92年のオフに年俸交渉がもつれ、当時としては珍しかった年俸調停を申請。給料アップを勝ち取ったもののの球団に疎まれてしまい、翌年オフには巨人からFA宣言した駒田徳広獲得の資金捻出のため、屋舗らとともに自由契約にされてしまった。94年は日本ハムに拾われたものの65試合の出場に終わり、同年限りで現役引退を選んだ。
▼ロバート・ローズ(2003年/ロッテ)
90年代後半の横浜“マシンガン打線”の中軸を担ったクラッチヒッター。来日1年目から安定した活躍を続け、98年には38年ぶりの日本一に貢献。99年は前半戦だけで100打点に到達して最終的には歴代2位の153打点で打点王、さらに当時の右打者最高打率の.369で首位打者も獲得した。翌00年も好成績を残しながら突如、引退。03年、「野球をやりたい気持ちが強くなった」と突如ロッテに復帰したが、ブランクのせいかキャンプ紅白戦でヒットが出ない状態が続くと、入団から1ヵ月足らずで「野球に対する情熱がなくなった」と再び引退。結局、ロッテでは1試合も公式戦に出場せずに終わった。
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
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81年の“ヘディング事件”の印象が強い宇野だが、通算338本塁打も記録したプロ野球史上屈指の攻撃型遊撃手である。85年の41本塁打は現在でも遊撃手歴代最多。また、守備も決して下手ではなく、強肩を生かしたダイナミックなプレーには定評があった。だが、92年は不振に苦しみ、その年のオフにロッテへトレード。当時、千葉に移転したばかりロッテにとっては、銚子商出身の宇野獲得で観客動員増につなげたい思惑もあった。だが、新天地でも復活はならず、94年オフに戦力外通告。現役続行を希望するも、獲得球団が現れず引退した。
▼高木豊(1994/横浜→日本ハム)
加藤博一、屋舗要とともに”スーパーカートリオ”を結成して80年代に一世を風靡した巧打の内野手。打率3割を8度も記録し、二塁と遊撃の双方でベストナインに選出されるなどチーム一の人気者だったが、92年のオフに年俸交渉がもつれ、当時としては珍しかった年俸調停を申請。給料アップを勝ち取ったもののの球団に疎まれてしまい、翌年オフには巨人からFA宣言した駒田徳広獲得の資金捻出のため、屋舗らとともに自由契約にされてしまった。94年は日本ハムに拾われたものの65試合の出場に終わり、同年限りで現役引退を選んだ。
▼ロバート・ローズ(2003年/ロッテ)
90年代後半の横浜“マシンガン打線”の中軸を担ったクラッチヒッター。来日1年目から安定した活躍を続け、98年には38年ぶりの日本一に貢献。99年は前半戦だけで100打点に到達して最終的には歴代2位の153打点で打点王、さらに当時の右打者最高打率の.369で首位打者も獲得した。翌00年も好成績を残しながら突如、引退。03年、「野球をやりたい気持ちが強くなった」と突如ロッテに復帰したが、ブランクのせいかキャンプ紅白戦でヒットが出ない状態が続くと、入団から1ヵ月足らずで「野球に対する情熱がなくなった」と再び引退。結局、ロッテでは1試合も公式戦に出場せずに終わった。
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
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