(投手)
●ネイサン・イオバルディ(レッドソックス/3)
(捕手)
●オースティン・バーンズ(ドジャース/5)
(一塁手)
●ホゼ・アブレイユ(ホワイトソックス/5)
●カルロス・サンタナ(インディアンス/5)
(二塁手)
●キケ・ヘルナンデス(ドジャース/8)
(左翼手)
●アレックス・バーデュゴ(レッドソックス/8)
●マイケル・ブラントリー(アストロズ/8)
(中堅手)
●ケビン・キアマイアー(レイズ/10)
各選手ともにポジション別のDRSトップ3に入っている好守を発揮した選手たちだ。しかし、今回発表された最終候補者の中に名前すら入っていない。例えば、左翼のバーデュゴは確かに右翼の出場イニング数がやや多く、そうした点から外している可能性はあるが、DRS以外にも7補殺は外野手メジャー最多であり、何らかの補足がないと当然「なぜ?」となってしまう。
バーデュゴ以上に不可解なのが、ゴールドグラブ3回受賞する「守備だけなら歴代最高クラス」とも言える、センターのキアマイアーの落選だ。DRS10はバクストンに次ぐ外野手メジャー2位、6補殺も2位、守備率10割、今季も何度もスーパープレーを披露するなど、「データも印象も満点」に近い選手に思えるが、最終3人にすら残れなかった。日本でもだいぶ浸透してきたUZRではバクストンを抜いて1位で、150試合に換算したUZR/150もダントツ1位の30.7をマークしており、レイズの地元記者は「不可解な落選」と評していた。
結局、今回の選出において賛否、というより否定的な声が多いのは「守備成績に基づいて判断する」と言っているにもかかわらず、そうした点が反映されているように見えないからではないだろうか。データ分析が進み、野球とデータは切っても切り離せない関係になっている。実際、真に守備が優れた選手は、データのプロたちが選んだ『フィールディング・バイブル賞』の受賞者だ、という考えが主流に近くなっている。
それでもなお、ゴールドグラブに“価値”があったのは、やはりデータだけでは分からない「現場が見た凄さ」にファンもリスペクトを払っていたからだろう。しかし今年に限って言えば、その“凄さ”ではなく「データ」で選んだという建前がある以上、具体的にこの選手のどのデータが優れていて、一方の選手を落選させたのかの説明がないと、なかなかどうして納得するのは難しい。
価値観というのは移ろいやすいものだ。数年前まで正しいとされたものが、過去のものになるケースはざらである。そして現代野球もまた、「客観的な見方=データ」が「主観的な見方=現場や印象」よりも大事とされ、十数年が過ぎようとしている。1957年に始まったゴールドグラブも、かなり長い間、エラーや印象面で選出されてきた。ものすごく守備範囲が狭いにもかかわらず、派手なキャッチ(上手い選手ならさらりとこなす)などをして印象を押し上げ、また打撃がいいからという“不純物”が混じることもあった。
しかしここ数年はさすがにデータを意識する選出にかわりつつあり、だいぶ“まとも”になったという見方もあった。が、今回は「データに基づいて」選出した結果が、逆に「データを重視していない」選出になり、批判の声が上がる形となった。
何度も言うが、ノミネートされた選手が悪いのではなく、選出した側がその根拠を提示できるかどうかが問題だ。これはゴールドグラブに限らず、11月に発表されるMVPやサイ・ヤング賞投票においても、まったく同じことが言えるだろう。選出という大役を任された者には、それだけの「責任」がついてまわるはずである。
構成●SLUGGER編集部
●ネイサン・イオバルディ(レッドソックス/3)
(捕手)
●オースティン・バーンズ(ドジャース/5)
(一塁手)
●ホゼ・アブレイユ(ホワイトソックス/5)
●カルロス・サンタナ(インディアンス/5)
(二塁手)
●キケ・ヘルナンデス(ドジャース/8)
(左翼手)
●アレックス・バーデュゴ(レッドソックス/8)
●マイケル・ブラントリー(アストロズ/8)
(中堅手)
●ケビン・キアマイアー(レイズ/10)
各選手ともにポジション別のDRSトップ3に入っている好守を発揮した選手たちだ。しかし、今回発表された最終候補者の中に名前すら入っていない。例えば、左翼のバーデュゴは確かに右翼の出場イニング数がやや多く、そうした点から外している可能性はあるが、DRS以外にも7補殺は外野手メジャー最多であり、何らかの補足がないと当然「なぜ?」となってしまう。
バーデュゴ以上に不可解なのが、ゴールドグラブ3回受賞する「守備だけなら歴代最高クラス」とも言える、センターのキアマイアーの落選だ。DRS10はバクストンに次ぐ外野手メジャー2位、6補殺も2位、守備率10割、今季も何度もスーパープレーを披露するなど、「データも印象も満点」に近い選手に思えるが、最終3人にすら残れなかった。日本でもだいぶ浸透してきたUZRではバクストンを抜いて1位で、150試合に換算したUZR/150もダントツ1位の30.7をマークしており、レイズの地元記者は「不可解な落選」と評していた。
結局、今回の選出において賛否、というより否定的な声が多いのは「守備成績に基づいて判断する」と言っているにもかかわらず、そうした点が反映されているように見えないからではないだろうか。データ分析が進み、野球とデータは切っても切り離せない関係になっている。実際、真に守備が優れた選手は、データのプロたちが選んだ『フィールディング・バイブル賞』の受賞者だ、という考えが主流に近くなっている。
それでもなお、ゴールドグラブに“価値”があったのは、やはりデータだけでは分からない「現場が見た凄さ」にファンもリスペクトを払っていたからだろう。しかし今年に限って言えば、その“凄さ”ではなく「データ」で選んだという建前がある以上、具体的にこの選手のどのデータが優れていて、一方の選手を落選させたのかの説明がないと、なかなかどうして納得するのは難しい。
価値観というのは移ろいやすいものだ。数年前まで正しいとされたものが、過去のものになるケースはざらである。そして現代野球もまた、「客観的な見方=データ」が「主観的な見方=現場や印象」よりも大事とされ、十数年が過ぎようとしている。1957年に始まったゴールドグラブも、かなり長い間、エラーや印象面で選出されてきた。ものすごく守備範囲が狭いにもかかわらず、派手なキャッチ(上手い選手ならさらりとこなす)などをして印象を押し上げ、また打撃がいいからという“不純物”が混じることもあった。
しかしここ数年はさすがにデータを意識する選出にかわりつつあり、だいぶ“まとも”になったという見方もあった。が、今回は「データに基づいて」選出した結果が、逆に「データを重視していない」選出になり、批判の声が上がる形となった。
何度も言うが、ノミネートされた選手が悪いのではなく、選出した側がその根拠を提示できるかどうかが問題だ。これはゴールドグラブに限らず、11月に発表されるMVPやサイ・ヤング賞投票においても、まったく同じことが言えるだろう。選出という大役を任された者には、それだけの「責任」がついてまわるはずである。
構成●SLUGGER編集部