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プロ野球

「実はメジャーからやってきた」「引退後はあのスラッガーの手に」――ノムさんと苦楽を共にしたヘルメットの物語<SLUGGER>

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2021.06.22

 77年オフに兼任監督を解任され、南海を退団した後も、ヘルメットはノムさんと苦楽を共にした。当時の金田正一監督に誘われて、ノムさんは78年にロッテに移籍。ヘルメットもロッテの黒に塗り直された。監督から一兵卒の立場に戻ったことで、ノムさんもこの時はいろいろと苦労したらしい。金田監督は当初「若手にいろいろ教えてやってくれ」と言っていたが、いざ若手にアドバイスをするとコーチ陣から煙たがられ、金田監督は前言を翻して「やめてくれ」と言い出したという。

 結局ロッテを一年で去ったノムさんは、「ボロボロになるまでやりたい」と、翌年は西武へ籍を移した。すでに打撃には往年の面影はなかったがインサイドワークは健在で、松沼博久・雅之の兄弟や、森繁和ら若手投手陣に大きな影響を与えたという。翌80年限りでノムさんは現役に終止符を打ったが、この年のオールスターに監督推薦で出場した時も、8月1日に史上初の通算3000試合出場を果たした時も、ライオンズブルーに塗られたヘルメットは最後までお供を務めていた。
 
 ノムさんの引退後、このヘルメットはしばらく西武の倉庫の中で眠っていたが、ひょんなことから清原和博の手にわたることになる。清原は85年のドラフト1位で入団した際、サイズの合うヘルメットがなかったため、これが支給されたのである。以降は清原も、移籍するたびに塗装し直してこのヘルメットを使い続けた。巨人時代の2005年には、交流戦で山口和男(オリックス)から頭部死球を食らった際に、塗装が剥げて青い部分があらわになったこともある。08年にオリックスで引退した後も大切に所有しており、今年2月にはいまだにピカピカの状態の写真をツイッターで公開してノムさんを偲んだ。

 世の中に野球のヘルメットは数あれど、ここまで数奇な運命をたどったものは極めて稀だろう。ノムさんは鬼籍に入ってしまったが、このヘルメットに込められた物語は、ノムさんの偉大な足跡とともに、いつまでも語り継がれていくはずだ。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
 

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