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プロ野球

阪神の「10年36億」を蹴った清原和博、「ミスターの背番号」も条件になった江藤智――大物FA選手争奪戦を振り返る<SLUGGER>

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2022.11.05

▼内川聖一(2010年オフ)
○ソフトバンク:4年12億円
●広島:3年6億円
●横浜:4年10億円

 08年に現在も右打者の史上最高打率となる.378で首位打者を獲得するなど、セ・リーグ屈指の安打製造機として活躍した内川。にもかかわらず、当時在籍していた横浜(現DeNA)は最下位の常連で、いくら活躍してもチーム成績は上向かなかった。「勝ちたい」という思いが強かった内川は、FA権を取得すると即座に行使した。

 獲得に名乗りを挙げたのは横浜と、この年パ・リーグ優勝を果たしたソフトバンク、そして、00年のドラフトの際に内川を1位候補にも挙げていた広島。とくに広島はそれまで一度もFA選手の獲得を目指したことがなく、かなり話題となった。

 異例の動きだっただけあって、広島の熱意はかなりのものだった。当時の野村謙二郎監督は内川と同じ大分県出身で、その点も前面に押し出してかなり熱心に誘ったという。交渉の席で野村監督から「カープがFA選手を獲得しに行くのは歴史的なこと。優勝すればお前は歴史的な選手になれる」と口説かれ、内川もかなり心が動いたという。

 それでも最終的にソフトバンクを選んだのは、故郷大分に住む父親が観戦しやすかったから。また、「スタイルをまったく変える必要はない。今のままの君が欲しい」と王貞治球団会長から口説かれたことも大きかった。ただでさえ強豪球団だったソフトバンクは、内川の加入で常勝球団へと変貌していくこととなる。
 
▼杉内俊哉(2011年オフ)
○巨人:4年20億円
●ソフトバンク:4年22億円

 前身のダイエー時代からローテーションの中心として活躍した杉内だが、契約更改で揉めることでも有名だった。FA前年の10年には16勝7敗でリーグ優勝に貢献したにもかかわらず、年俸が5000万円アップ(3億円→3億5000万円)にとどまったことに不満で、親会社にひっかけて「携帯電話会社と同じですよ。新規加入の人には優しくて既存の人はそのまま」という名言も放っている。

 そんな杉内だったから、FA権は取得と同時に行使。球団も慰留の構えを見せ、杉内本人もあくまで交渉の材料として行使したつもりだったらしいが、それまでの経緯からフロントとの関係がこじれていたのが良くなかった。ホークスとの交渉は大荒れで、一説には球団関係者から「宣言したところで獲る球団などない」という言葉すら投げつけられたとも言われる。

 結局、杉内はソフトバンクより条件が低かった巨人に入団。金満で知られる2球団が条件を提示した数少ない選手であるが、どちらかと言えば杉内本人の事情により、あまり争奪戦らしくはならなかった。
 
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