▼5度もドラフトで指名された28歳の新人王
藤沢公也という男がいる。八幡浜高校を卒業した69年にロッテから3位で指名されるも拒否。その後は社会人の日鉱佐賀関でプレーし、71年のヤクルト(11位)、73年の近鉄(4位)、76年の日本ハム(2位)に指名されたがいずれも入団拒否。77年に中日が1位で指名してやっとプロ入りしたが、5回指名も4回拒否も史上最多記録である。
さすがに各球団が欲しがっただけあり、プロ入り2年目の79年には、パームボールを武器に13勝5敗の活躍で新人王を受賞した。だがこの時すでに28歳。年齢もあってかその後はパッとせず、たった5年後に現役を引退してしまった。
▼新人王レース史上最大の激戦
今季のセ・リーグ新人王レースは村上宗隆(ヤクルト)と近本光司(阪神)の争いとなったが、39票差で村上が受賞。確かに接戦ではあったが、史上最大の激戦とは言えない。では、史上最も激戦だったのはいつか? 阿波野秀幸(近鉄)と西崎幸広(日本ハム)が争った87年のパ・リーグ? それとも川上憲伸(中日)、高橋由伸(巨人)、坪井智哉(阪神)らが争った99年のセ・リーグ? いや、そのどちらでもない。
最も激戦だったのは、92年のセ・リーグである。この年はそれまでBクラス続きだった阪神が、若手の活躍で2位まで躍進したこともあり、新人王レースも阪神勢の2人、久慈照嘉と新庄剛志がリードした。結果として久慈が全173票のうち85票を集めて受賞したが、新庄剛志も80票得ており、その差はわずか5票。投票者が3人心変わりしていれば、新庄が受賞していたほどの僅差だった。
NPBの新人王投票には「該当者なし」の項目があり、最多得票選手より「該当者なし」の得票が上回るか、最多得票選手の得票率26%を下回っている場合には、新人王は選出されず、「該当者なし」となる。
今までこのケースが適用されたのは両リーグで合わせて10回あるが、最も新人王に惜しかったのは68年の永淵洋三(近鉄)だ。水島新司の名作マンガ『あぶさん』のモデルとなったこの男は、アマチュア時代から酒豪として知られ、「飲み屋の借金を返すため」という理由でプロ入り。ルーキーイヤーは打者と投手の“二刀流”に挑戦し、打者としては109試合に出場、打率.274、5本塁打30打点11盗塁。投手としても12試合に登板して0勝1敗、防御率2.84の成績を残した。新人王投票でも184票中75票を集めたが、「該当者なし」が106票と永淵を上回って新人王はならなかった。
文●筒居一孝(スラッガー編集部)
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