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MLB

チェロキー族の血を引く“飲んだくれスラッガー”大谷の月間16本塁打で脚光を浴びる1930年代の強打者ボブ・ジョンソン<SLUGGER>

出野哲也

2023.07.03

 37~39年は出塁率4割以上を記録したが、四球の多さは周りの打者が頼りないのも理由だった。「ヤンキースにいたらもっと勝負してもらえたのに」とジョンソン自身も嘆いていたし、セネタース(現ツインズ)の監督バッキー・ハリスは「彼なら首位打者にも打点王にもなれたはずだ。でもあの頃のアスレティックスには、彼が還せる走者はおらず、後続の打者も弱くて悪球でも打ちにいくしかなかった」と言っていた。

 ジョンソンは、アスレティックスの監督であるだけでなくオーナーも兼務するようになったマックとは、折り合いが良くなかった。紳士的な人物で尊敬を集めていたマックと衝突した選手は珍しかったが、年俸の少なさが不満で、しかも42年オフの契約更改では約束されていたはずのボーナスが支払われず、もうこのチームではプレーしないと宣言したのだ。

 マックはマックで、ジョンソンのアルコールへの耽溺を快く思っていなかった。後年レッドソックスで同僚となったエディー・レイクが「遠征の際、ジョンソンのトランクに詰まっていたのは服以外全部酒瓶だった」と証言していたほど。兄のロイはさらに酷い依存症で、長くネイティブ・アメリカンを悩ませていたアルコールの問題は、ジョンソン兄弟にもついて回った。
 こうして、43年にはセネタースへトレードされる。さらに翌44年はレッドソックスへ移り、38歳にして出塁率.431とOPS.959でリーグ1位。打撃技術に衰えはなく、45年もオールスターに選出されたが(第二次大戦の影響で試合自体は中止)、同年がメジャーで最後のシーズンになる。終戦にともない、正左翼手テッド・ウィリアムズが兵役から戻ってきたからである。

 他球団でも選手が多数復員し、40歳を迎えるジョンソンに好条件を提示するチームはなかった。自身の才能にもっと早く気づき、また引退するのを数年先延ばしにしていれば、殿堂入りの可能性もあったかもしれない。

 8回もオールスターに選ばれながら、歴史のはざまに埋もれていたジョンソン。これからも大谷の活躍によって、そのような隠れた名選手に光が当てられるのを楽しみにしたい。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
 
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