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プロ野球

高校通算0本塁打だった小笠原、「飛距離は大したことなかった」阿部...高校時代は無名だったスラッガーたち【SLUGGER】

藤原彬

2023.08.20

 社会人で打撃の才能が開花し、1996年のドラフト3位で日本ハム入団にこぎ着けると、2年目の98年に打率.302を記録。99年には「バントをしない2番打者」として25本塁打を放つなどブレイクを果たし、2006年には広い札幌ドームを本拠地にしながら32本塁打を放ってタイトルを獲得した。「打率3割&30本塁打」を9回も達成するなど球界を代表する強打者へ変貌を遂げたバットマンは、史上2人目となるセ・パ両リーグMVPの栄誉も授かっている。

■阿部慎之助(通算406本塁打)
 球史でも指折りの強打の捕手として鳴らしたが、中学時代はそれほど知られた選手ではなく、希望した私立高校には受からなかった。2次募集で安田学園へ入学後も、当時の中根康高監督から肩の強さとコントロールは「頭抜けている」と評価され、打撃もミートのうまさを認められながらも「飛距離は大したことがない」。ただ、本人の意識は当時から高く、将来はプロ野球選手に「なりたい」ではなく「なるんだ」と繰り返していた。

 積極的にウェイトを取り入れていたチームで徐々にパワーも備わり、3年時にはグラウンドの場外ネットを越える打球を量産して、高校通算本塁打は38本を数える。中央大では2000年にシドニー五輪に出場し、その年のドラフトで巨人を逆指名してプロ入り。12年には三冠王獲得へ迫り、捕手では野村克也に次ぐ歴代2位の406ホームランを放つなど
■新井貴浩(通算319本塁打)
 先輩から「強い高校に勝つのがカッコいい」と言われて広島工に進学し、主将として迎えた3年夏は二岡智宏擁する強豪・広陵を破ったが、続く4回戦で敗れる。当時から広島のスカウトに打球の飛距離を認められていたが確実性に乏しく、レフトの守備も含めて「ドラフトで指名するレベルではない」と判断された。駒沢大では打点王を獲得したこともあったが通算2本塁打のみで、内野守備も低評価のままだった。

 そこで大学OBの伝手をたどりながら広島の球団OBへアプローチし、父親が「契約金はいりません」と頭を下げて、1998年ドラフト6位で指名された。憧れた世界では江藤智ら主力打者にレベルの違いを見せつけられたが、それでも1年目から7本塁打。4年続けて本塁打の数を伸ばし、金本知憲が退団した2002年から4番を任されると、05年には43本塁打を放ちタイトルを獲得。06年にはWBC日本代表に選ばれ、晩年にはMVPにも輝くほどの名選手となった。

取材・文●藤原彬

著者プロフィール
ふじわら・あきら/1984年生まれ。『SLUGGER』編集部に2014年から3年在籍し、現在はユーティリティとして編集・執筆・校正に携わる。ツイッターIDは@Struggler_AKIRA。
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