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MLB

かつての“黒歴史”を完全に克服したドジャース。大谷が「キーマン条項」を発動する可能性は限りなく低い<SLUGGER>

ナガオ勝司

2023.12.23

 デポデスタ新GMは、今ではどの球団も何らかの形で重宝しているセイバーメトリクスを導入し、低予算ながら高予算球団を打ち破った「マネーボール」のカギを握る存在だった。結果から先に言うと、同GMは統計分析を重視するあまり、現場の空気感を無視したことが波紋を呼んで、わずか2年で退陣してしまうのだが、そのきっかけは、就任1年目(04)のトレード期限の「ある補強劇」にあった。

 デポエスタGMはポール・ロデューカ捕手、救援ギレルモ・モタ投手、ホアン・エンカーナシオン外野手をマーリンズへ放出し、先発ブラッド・ペニー投手、チェ・ヒソプ一塁手、ビル・マーフィー投手を獲得するトレードを成立させた。

 後に殿堂入りする左腕ランディ・ジョンソン(当時ダイヤモンドバックス)を含む三角トレードを仕組んで失敗して成立したトレードだったという説もあるが、大事なのはデポデスタGMが、当時ドジャースの「精神的支柱」と呼ばれていたロデューカを放出したことである。地元メディアやファンの反発は凄まじく、今でならSNSで大炎上するようなレベルだった。だが、そのトレードのおかげで、前年85勝77敗で首位ジャイアンツに15ゲーム半差を付けられて2位に甘んじたドジャースは93勝69敗と大躍進し、9年ぶりの地区優勝を果たしている。

 そのプロセスでは、先のトレードで加入したマーフィーをすぐダイヤモンドバックスに放出し、ベテランのスティーブ・フィンリー外野手を獲得し、そのフィンリーが地区優勝を決める満塁本塁打を放つというドラマチックな場面もあったことから、「さすがデポデスタ!」と称賛するメディアも少なくなかった。
 
 ところが、地区シリーズでカーディナルスに1勝3敗で敗退すると、「ロデューカ放出」がチーム内に不協和音をもたらしていたことがリークされて記事になった。さらに同年、48本塁打を打ったエイドリアン・ベルトレー三塁手(今年の殿堂入り有力候補者)がFAとなって5年6400万ドルでマリナーズへ移籍した後、ドジャースが再契約のために提示したのがわずか3年3000万ドルだったとスクープされ、ファンやメディアの批判が再燃した。

 翌05年は主力選手の怪我が相次ぎ、地区4位に低迷。71勝91敗は1958年にブルックリンからロサンゼルスに移転後ワースト2位の成績で、デポデスタGMはまたもやファンやメディアから総攻撃を食らって、就任からわずか2年で退陣に追い込まれてしまった。いわゆる「お家騒動」というやつだ。

 後任は前ジャイアンツGM補佐のネッド・コレッティで、コレッティはデポデスタGMが残した戦力を有効活用して、「プチ王朝」を築いた。ヤンキースで4度の世界一に輝いたジョー・トーリ監督を招聘し、前出のペニーや黒田博樹、後にサイ・ヤング賞とMVPを同時受賞する左腕クレイトン・カーショウらで構成される強力先発陣と、ラッセル・マーティン捕手やジェームズ・ローニー一塁手、後のMVP候補マット・ケンプ、アンドレ・イーシアー外野手ら二十代の主力選手が台頭した08年から地区2連覇を達成した。

 マッコート体制下でのドジャースは、12年までの9年間で3度の地区優勝を含め、4度もポストシーズンに進出。リーグ優勝決定シリーズで2度、地区シリーズで2度敗退し、88年以来のワールドシリーズ優勝には至らなかったものの、「ヒリヒリした戦い」は毎年見せていたわけだ。しかし、そんなところに起こったのが、今度は経営陣の「お家騒動」だった。
 
 09年、マッコート夫妻が30年近い結婚生活を経て別居すると発表。当時、最高経営責任者になっていた妻ジェイミーが「ドジャースの焦点はプレーオフとワールドシリーズにある」と述べた直後、解任された。夫フランクは「(離婚と)チームには何の関係もない」と主張したものの、ドジャースの単独所有権を確立するために法的手段を行使。ジェイミーはその独断に敏感に反応し、「私はチームの共同所有者として承認されるべきだ」と主張し、離婚係争にドジャースが巻き込まれる事態に陥ってしまった。
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