27
2度出場したポストシーズンでは通算19試合で78打数27安打、打率.346の成績を残した。このうち、ホームランは1本。ヤンキース時代の12年、タイガースとのリーグ優勝決定シリーズ第2戦でクローザーのホゼ・バルバーデイから2ラン本塁打を放った。
63
マーリンズ3年目の17年に、代打としてはいずれもMLB歴代最多の109打席と100打数をこなし、27安打も同2位。通算では63安打で2本塁打を放ち、打率.260、OPS.643だった。
242
01年に新人史上最多の242安打をマーク。7月のオールスター後に21打席連続無安打と苦しんだが、8月に51安打で打率.429と猛チャージした。最多安打と首位打者のタイトル獲得のみならず、1975年のフレッド・リンに次いで史上2人目となるMVPと新人王をダブル受賞を達成している。
262
04年10月1日のレンジャーズ戦でシーズン258本目のヒットを放ってジョージ・シスラーの持つ記録を塗り替えて「小さなことを多く積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道」と語った。この年、積み上げた262安打は、現在も「今後も破られることのない記録」の一つに挙げられている。3度の月間50安打以上と225単打も新記録となった。
.311
10年連続打率3割以上をキープし、通算.311は2000年以降の選手に限ると9位(5000打席以上)。メジャー1年目の2試合目に打率.222となったが、3試合目終了後から通算3割を切ることはなかった。対左投手の打率.329は1500打席以上の打者で歴代1位だ。
320
全30球団から安打を記録し、メジャーデビュー戦で初ヒットを放ったアスレティックスからの320本が最多。本塁打はレンジャーズ戦での16本が最も多かった。100打席以上対戦した14チームからは、いずれも打率.280以上を残している。
1244
球場別ではマリナーズの本拠地セーフコ・フィールド(現T-モバイル・パーク)で最も多くの1244安打を放ち、新ヤンキー・スタジアムでの191本が続く。コウフマン・スタジアム(カンザスシティ)では100打席以上で最も高い打率.365とOPS.906を記録した。
1349
19年間で述べ1349人の投手と相対した。ジョン・ラッキーとの対戦130打席と37安打(打率.303)が最多で、次いで同い年のバートロ・コローンから35安打(.299)。一方、日本でも投げたライアン・ボーグルソンとジョニー・クエイトに対してはそれぞれ18打席、12打席でヒットなしに終わった。
3089
歴代24位の通算3089安打は「2000年以降」と「アメリカ出身以外の選手」でそれぞれ史上最多。ちなみに、27歳でのメジャーデビューは3000安打達成者で最も遅く、三塁打でのマイルストーン到達はポール・モリターに次ぐ2人目だった。
6845
10734打席に立ち、凡打に倒れた6845回は「悔しい思いをした」。この気持ちが“稀代のヒットメイカー”の礎になった。
文●藤原彬
ふじわら・あきら/1984年生まれ。『スラッガー』編集部に2014年から3年在籍し、現在はユーティリティとして編集・執筆・校正に携わる。
2度出場したポストシーズンでは通算19試合で78打数27安打、打率.346の成績を残した。このうち、ホームランは1本。ヤンキース時代の12年、タイガースとのリーグ優勝決定シリーズ第2戦でクローザーのホゼ・バルバーデイから2ラン本塁打を放った。
63
マーリンズ3年目の17年に、代打としてはいずれもMLB歴代最多の109打席と100打数をこなし、27安打も同2位。通算では63安打で2本塁打を放ち、打率.260、OPS.643だった。
242
01年に新人史上最多の242安打をマーク。7月のオールスター後に21打席連続無安打と苦しんだが、8月に51安打で打率.429と猛チャージした。最多安打と首位打者のタイトル獲得のみならず、1975年のフレッド・リンに次いで史上2人目となるMVPと新人王をダブル受賞を達成している。
262
04年10月1日のレンジャーズ戦でシーズン258本目のヒットを放ってジョージ・シスラーの持つ記録を塗り替えて「小さなことを多く積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道」と語った。この年、積み上げた262安打は、現在も「今後も破られることのない記録」の一つに挙げられている。3度の月間50安打以上と225単打も新記録となった。
.311
10年連続打率3割以上をキープし、通算.311は2000年以降の選手に限ると9位(5000打席以上)。メジャー1年目の2試合目に打率.222となったが、3試合目終了後から通算3割を切ることはなかった。対左投手の打率.329は1500打席以上の打者で歴代1位だ。
320
全30球団から安打を記録し、メジャーデビュー戦で初ヒットを放ったアスレティックスからの320本が最多。本塁打はレンジャーズ戦での16本が最も多かった。100打席以上対戦した14チームからは、いずれも打率.280以上を残している。
1244
球場別ではマリナーズの本拠地セーフコ・フィールド(現T-モバイル・パーク)で最も多くの1244安打を放ち、新ヤンキー・スタジアムでの191本が続く。コウフマン・スタジアム(カンザスシティ)では100打席以上で最も高い打率.365とOPS.906を記録した。
1349
19年間で述べ1349人の投手と相対した。ジョン・ラッキーとの対戦130打席と37安打(打率.303)が最多で、次いで同い年のバートロ・コローンから35安打(.299)。一方、日本でも投げたライアン・ボーグルソンとジョニー・クエイトに対してはそれぞれ18打席、12打席でヒットなしに終わった。
3089
歴代24位の通算3089安打は「2000年以降」と「アメリカ出身以外の選手」でそれぞれ史上最多。ちなみに、27歳でのメジャーデビューは3000安打達成者で最も遅く、三塁打でのマイルストーン到達はポール・モリターに次ぐ2人目だった。
6845
10734打席に立ち、凡打に倒れた6845回は「悔しい思いをした」。この気持ちが“稀代のヒットメイカー”の礎になった。
文●藤原彬
ふじわら・あきら/1984年生まれ。『スラッガー』編集部に2014年から3年在籍し、現在はユーティリティとして編集・執筆・校正に携わる。