そんな彼がFAになったのは00年オフ、24歳の時だった。大事なFA権取得年に打率.316、41本塁打、OPS1.026、132打点、15盗塁と、いわゆる「5ツール(打率・長打力・スピード・守備・強肩)・プレーヤー」からさらにスケールアップした強打者へと変貌を遂げつつあった彼はその時点で通算打率.309、OPS.934、189本塁打、595打点、133盗塁と、スーパースターにふさわしい成績を残しており、同年オフ、10年総額2億5200万ドルという当時の北米プロスポーツ最高額でレンジャーズと契約した。
A-ROD(と言うよりレンジャーズと代理人のスコット・ボラス)が球界関係者から批判されたのは、それが当時の最高契約を630万ドルも上回る超高額契約だったためだ。
A-ROD獲得に失敗したメッツのスティーブ・フィリップスGM(現解説者)は「特別な選手に与えられた特別な契約」と表現しながらも、「一人の選手にそれだけの投資をすると、他の補強ポイントを犠牲にしてしまう」というコメントを残した。
フェルナンド・タティースJr.(14年3億4000万ドル)やマニー・マチャド(11年3億5000万ドル)らを擁する今では信じられないかも知れないが、当時は低予算球団だったパドレスの編成最高責任者ケビン・タワーズは地元紙にこう語っている。
「こういうことが起こると、小さな市場のチームが競争するのは難しい。テキサス・レンジャーズにとっては良い日だったろうが、球界にとっては悪い日だ」
当時、MLB副社長だったサンディ・アルダーソンはもっと否定的な意見を述べている。
「この契約はチーム運営のすべてに影響する。シーズンチケットの購入者が『我々は一体何を買っているんだ? アスリートを見るためなのか? 真の競技のためなのか? このチームは本当に勝つチャンスがあるのか?』と自問することになるだろう。これは危機的な状況です」 奇しくも、ソトの代理人も当時のA-RODと同じボラスである。彼は当時、MLB機構や他球団の否定的な意見に対し、冷静にこう答えている。
「待たざる者が突然、持つ者になった、という意味では、確かにこの契約は大きく球団経営に関与している。だが、80年代初頭のシアトルやテキサスについて考える時、時代遅れのスタジアムを持ち、非常に収益が低く、地元の共同体があまり関与していなかった本拠地だったと思い出すでしょう? ところが彼らは現在、巨額なテレビ放映権料やスポンサー収入によって成功している。だからこそ、この契約を成立させることができるのです」
「子供の頃に憧れの球団はメッツ」と公言していたA-RODは、同球団のオファーを蹴ってレンジャーズと契約したことと、在籍時のレンジャーズが優勝争いできなかったこともあり、ずっと後になってこの契約を「後悔している」と明かしている。彼はその後、紆余曲折あって入団したヤンキースではワールドシリーズ優勝も経験したが、レンジャーズと結んだ契約で信じられないほど裕福になったのだから、経済的には後悔などあろうはずがない。
そして、その高額契約もやはり、前出のレイノルズが言った「高卒でプロ入り」したからこそ可能になったものだった。
ドミニカ共和国出身のソトは15年、16歳の時にアマチュアFA選手としてナショナルズと契約金150万ドルで契約した。彼がMLBデビューしたのは、その3年後の18年、19歳の時である。98年生まれの選手で最速デビューした彼は周知のようにその後、チームの主軸に成長してオールスターやMVP投票の常連となった。
A-ROD(と言うよりレンジャーズと代理人のスコット・ボラス)が球界関係者から批判されたのは、それが当時の最高契約を630万ドルも上回る超高額契約だったためだ。
A-ROD獲得に失敗したメッツのスティーブ・フィリップスGM(現解説者)は「特別な選手に与えられた特別な契約」と表現しながらも、「一人の選手にそれだけの投資をすると、他の補強ポイントを犠牲にしてしまう」というコメントを残した。
フェルナンド・タティースJr.(14年3億4000万ドル)やマニー・マチャド(11年3億5000万ドル)らを擁する今では信じられないかも知れないが、当時は低予算球団だったパドレスの編成最高責任者ケビン・タワーズは地元紙にこう語っている。
「こういうことが起こると、小さな市場のチームが競争するのは難しい。テキサス・レンジャーズにとっては良い日だったろうが、球界にとっては悪い日だ」
当時、MLB副社長だったサンディ・アルダーソンはもっと否定的な意見を述べている。
「この契約はチーム運営のすべてに影響する。シーズンチケットの購入者が『我々は一体何を買っているんだ? アスリートを見るためなのか? 真の競技のためなのか? このチームは本当に勝つチャンスがあるのか?』と自問することになるだろう。これは危機的な状況です」 奇しくも、ソトの代理人も当時のA-RODと同じボラスである。彼は当時、MLB機構や他球団の否定的な意見に対し、冷静にこう答えている。
「待たざる者が突然、持つ者になった、という意味では、確かにこの契約は大きく球団経営に関与している。だが、80年代初頭のシアトルやテキサスについて考える時、時代遅れのスタジアムを持ち、非常に収益が低く、地元の共同体があまり関与していなかった本拠地だったと思い出すでしょう? ところが彼らは現在、巨額なテレビ放映権料やスポンサー収入によって成功している。だからこそ、この契約を成立させることができるのです」
「子供の頃に憧れの球団はメッツ」と公言していたA-RODは、同球団のオファーを蹴ってレンジャーズと契約したことと、在籍時のレンジャーズが優勝争いできなかったこともあり、ずっと後になってこの契約を「後悔している」と明かしている。彼はその後、紆余曲折あって入団したヤンキースではワールドシリーズ優勝も経験したが、レンジャーズと結んだ契約で信じられないほど裕福になったのだから、経済的には後悔などあろうはずがない。
そして、その高額契約もやはり、前出のレイノルズが言った「高卒でプロ入り」したからこそ可能になったものだった。
ドミニカ共和国出身のソトは15年、16歳の時にアマチュアFA選手としてナショナルズと契約金150万ドルで契約した。彼がMLBデビューしたのは、その3年後の18年、19歳の時である。98年生まれの選手で最速デビューした彼は周知のようにその後、チームの主軸に成長してオールスターやMVP投票の常連となった。
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