1954年のプロ入りから11年間の現役生活をアトランタ・ホークスに捧げ、すべてのシーズンで平均20点、10リバウンド以上の好成績をマーク。56年にNBAの初代MVP受賞、58年にはチームを史上唯一の優勝に導き、オールスターゲームでMVPを4度受賞。全力プレーを信条とし、輝かしいキャリアを送ったリーグ黎明期のビッグマン、ボブ・ペティット。 今年9月に他界したレジェンドの歴史に迫る。
■自己流で練習を繰り返し、土台を築いていった少年時代
9月23日、NBA初期のスーパースターであるボブ・ペティットが93歳でこの世を去った。
彼こそはNBAの初代MVPであり、NBAファイナルで50得点を記録した最初の選手でもある。史上初めて通算2万得点を突破したのも彼であり、3年以上プレーして平均20点を下回る年がなかった選手は、他にはマイケル・ジョーダンしかいない(現役選手を除く)。
オールスターゲームでは4度のMVPに輝き、これも最多タイ記録。派手さとは無縁ながら堅実無比のプレーぶり、性格も謹厳実直だったペティットは、50年代のティム・ダンカンとも言うべき存在だった。
ペティットのフルネームはロバート・E・リー・ペティット・ジュニア。南北戦争の南軍の名将の名前が含まれていることからもわかるように、南部のルイジアナ州バトンルージュで生まれた。子どもの頃からバスケットボールは好きだったが、周囲には適切な指導を施せる大人がいなかった。そのためなかなか上達せず、高校では1年生でも、2年生でも正式なメンバーになれなかった。
それでも彼は挫けることなく、自宅の庭で練習を繰り返した。
「とにかくいつでも練習していた。それもすべて自己流でね。 正しいシュートの打ち方も知らなくて、自分がいいと思えるフォームで打っていた。片手でジャンプショットを打つようになったのも、それが一番よく決まるからだった」
そうした努力が実り、3年生でメンバー入りを果たすとそこから急成長。最終学年ではチームを州大会優勝に導いた。後年、ペティットは「あの大会で優勝できたことは、NBAでチャンピオンになったのと同じくらい嬉しかった」と振り返っている。
フックからターンアラウンド、そして当時はまだ珍しかったワンハンド・ジャンパーまで、様々な方法でシュートを決められるペティットは、誰もが注目する好選手となっていた。
■自己流で練習を繰り返し、土台を築いていった少年時代
9月23日、NBA初期のスーパースターであるボブ・ペティットが93歳でこの世を去った。
彼こそはNBAの初代MVPであり、NBAファイナルで50得点を記録した最初の選手でもある。史上初めて通算2万得点を突破したのも彼であり、3年以上プレーして平均20点を下回る年がなかった選手は、他にはマイケル・ジョーダンしかいない(現役選手を除く)。
オールスターゲームでは4度のMVPに輝き、これも最多タイ記録。派手さとは無縁ながら堅実無比のプレーぶり、性格も謹厳実直だったペティットは、50年代のティム・ダンカンとも言うべき存在だった。
ペティットのフルネームはロバート・E・リー・ペティット・ジュニア。南北戦争の南軍の名将の名前が含まれていることからもわかるように、南部のルイジアナ州バトンルージュで生まれた。子どもの頃からバスケットボールは好きだったが、周囲には適切な指導を施せる大人がいなかった。そのためなかなか上達せず、高校では1年生でも、2年生でも正式なメンバーになれなかった。
それでも彼は挫けることなく、自宅の庭で練習を繰り返した。
「とにかくいつでも練習していた。それもすべて自己流でね。 正しいシュートの打ち方も知らなくて、自分がいいと思えるフォームで打っていた。片手でジャンプショットを打つようになったのも、それが一番よく決まるからだった」
そうした努力が実り、3年生でメンバー入りを果たすとそこから急成長。最終学年ではチームを州大会優勝に導いた。後年、ペティットは「あの大会で優勝できたことは、NBAでチャンピオンになったのと同じくらい嬉しかった」と振り返っている。
フックからターンアラウンド、そして当時はまだ珍しかったワンハンド・ジャンパーまで、様々な方法でシュートを決められるペティットは、誰もが注目する好選手となっていた。




