2010年にマイアミ・ヒートで結成されたレブロン・ジェームズ、ドゥエイン・ウェイド、クリス・ボッシュの“ビッグ3”。この時、レブロンは25歳、ウェイドは28歳、ボッシュは26歳――。2003年のドラフト上位でNBA入りした3人が、キャリアのプライムタイムにタッグを組んだことは大きな話題を呼び、その後チームは2度のチャンピオンに輝いた。
2014年にビッグ3は解散し、ボッシュとウェイドは2019年に引退したが、3人の中で唯一現役を続けているレブロン(現ロサンゼルス・レイカーズ)が、結成2年目の2012年のプレーオフを振り返った。
ビッグ3結成初年度にヒートは54勝をあげ、プレーオフに入っても12勝3敗と圧倒的な強さでイーストを制する。ただ頂上決戦では、ダーク・ノビツキー率いるダラス・マーベリックスに2勝4敗で敗退。期待されたレブロンも第4戦で8得点に終わるなど、平均17.8点とレギュラーシーズン(26.7点)から大幅に数字を落とし、A級戦犯となってしまった。
リベンジを誓った2011-12シーズン、ヒートはイースト2位の好成績でシーズンを終了。プレーオフも2回戦までは順調に勝ち進んだものの、同じくビッグ3のポール・ピアース、ケビン・ガーネット、レイ・アレン擁するボストン・セルティックスとのカンファレンス・ファイナルでは大苦戦を強いられる。
ホームコート・アドバンテージを保持していたヒートはホームで2連勝と好スタートを切ったが、ボストンでの2試合に連敗し、地元に戻った第5戦も4点差で敗退。3連敗でセルティックスに王手をかけられ、敵地での第6戦に挑むことになった。
レブロンは「もし負けていたら、球団社長のパット・ライリーは俺たちを解散させたかもしれない」と当時を回顧し「ここで史上最高のパフォーマンスを見せなければ、自分のキャリアにも大きな傷がつく」と危機感を感じたという。
迎えた第6戦、レブロンは45得点、15リバウンド、5アシストと八面六臂の活躍を見せ、ヒートは19点差で快勝。最終戦でもエースは31得点、12リバウンドを叩き出して逆転勝ちに導いた。
そしてファイナルではケビン・デュラント、ラッセル・ウエストブルック、ジェームズ・ハーデンを中心とした新進気鋭のオクラホマシティ・サンダーを4勝1敗で撃破。レブロンは平均28.6点、10.2リバウンド、7.4アシストの大暴れで自身初の優勝を成し遂げ、MVPに選ばれた。
大舞台で真価を発揮し、“勝負弱い”レッテルを払拭したレブロンだが、2年連続で結果を残せなければ、剛腕社長のライリーがビッグ3の1人を放出していた可能性もあるだろう。
その翌年もヒートはサンアントニオ・スパーズを下して連覇を達成することになるが、もし2012年にビッグ3が解散していたら……。リーグの歴史は大きく変わり、“キング”の古巣復帰やレイカーズ移籍はなかったかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
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2014年にビッグ3は解散し、ボッシュとウェイドは2019年に引退したが、3人の中で唯一現役を続けているレブロン(現ロサンゼルス・レイカーズ)が、結成2年目の2012年のプレーオフを振り返った。
ビッグ3結成初年度にヒートは54勝をあげ、プレーオフに入っても12勝3敗と圧倒的な強さでイーストを制する。ただ頂上決戦では、ダーク・ノビツキー率いるダラス・マーベリックスに2勝4敗で敗退。期待されたレブロンも第4戦で8得点に終わるなど、平均17.8点とレギュラーシーズン(26.7点)から大幅に数字を落とし、A級戦犯となってしまった。
リベンジを誓った2011-12シーズン、ヒートはイースト2位の好成績でシーズンを終了。プレーオフも2回戦までは順調に勝ち進んだものの、同じくビッグ3のポール・ピアース、ケビン・ガーネット、レイ・アレン擁するボストン・セルティックスとのカンファレンス・ファイナルでは大苦戦を強いられる。
ホームコート・アドバンテージを保持していたヒートはホームで2連勝と好スタートを切ったが、ボストンでの2試合に連敗し、地元に戻った第5戦も4点差で敗退。3連敗でセルティックスに王手をかけられ、敵地での第6戦に挑むことになった。
レブロンは「もし負けていたら、球団社長のパット・ライリーは俺たちを解散させたかもしれない」と当時を回顧し「ここで史上最高のパフォーマンスを見せなければ、自分のキャリアにも大きな傷がつく」と危機感を感じたという。
迎えた第6戦、レブロンは45得点、15リバウンド、5アシストと八面六臂の活躍を見せ、ヒートは19点差で快勝。最終戦でもエースは31得点、12リバウンドを叩き出して逆転勝ちに導いた。
そしてファイナルではケビン・デュラント、ラッセル・ウエストブルック、ジェームズ・ハーデンを中心とした新進気鋭のオクラホマシティ・サンダーを4勝1敗で撃破。レブロンは平均28.6点、10.2リバウンド、7.4アシストの大暴れで自身初の優勝を成し遂げ、MVPに選ばれた。
大舞台で真価を発揮し、“勝負弱い”レッテルを払拭したレブロンだが、2年連続で結果を残せなければ、剛腕社長のライリーがビッグ3の1人を放出していた可能性もあるだろう。
その翌年もヒートはサンアントニオ・スパーズを下して連覇を達成することになるが、もし2012年にビッグ3が解散していたら……。リーグの歴史は大きく変わり、“キング”の古巣復帰やレイカーズ移籍はなかったかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
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