“マジック・ジョンソン2世”――。往年の名司令塔になぞらえ、数々の選手がその後継者候補として挙げられたが、最も近い存在だったのが身長201cmでポイントガード(PG)を務めたアンファニー・“ペニー”・ハーダウェイだろう。現在は母校メンフィス大のヘッドコーチを務める“悲運の大型司令塔”が『HOOPSHYPE』のインタビューでNBAキャリアを振り返った。
1993年のドラフト1巡目3位でゴールデンステイト・ウォリアーズに指名され、同1位指名のクリス・ウェバーとのトレードでオーランド・マジック入りしたペニー。ルーキーイヤーから全82試合に先発出場し、平均16.0点、5.4リバウンド、6.6アシストをマークし、エースだったシャキール・オニールの相棒として名乗りを上げた。
翌1994-95シーズンには平均20.9点、7.2アシストと成績を伸ばし、オールスター出場、オールNBA1stチーム初選出とリーグ屈指のPGに成長。プレーオフでも“神様”マイケル・ジョーダンが1度目の引退から復帰したシカゴ・ブルズを破り、球団創設6年目で、ファイナル初進出を果たした。頂上決戦ではヒューストン・ロケッツに4連敗を喫したものの、ペニーは平均25.5点、4.8リバウンド、8.0アシストと意地を見せた。
3年目のシーズンも平均21.7得点、7.1アシストを記録したが、プレーオフではカンファレンス決勝でブルズにリベンジを食らって敗退。シャックがシーズン終了後にレイカーズへ移籍したため、“シャック&ペニー”の強力デュオはわずか3年で終わりを告げてしまった。
シャックに代わってエースとなったペニーは、その後度重なるヒザの故障に悩まされ、本来の輝きを失ってしまう。その後フェニックス・サンズ、ニューヨーク・ニックス、マイアミ・ヒートと渡り歩き、2007-08シーズン途中に解雇されて事実上の現役引退と、儚くNBAキャリアに幕を閉じた。
通算15シーズンで704試合に出場し、平均15.2点、4.5リバウンド、5.0アシスト。早熟の天才として語られ続けているハーダウェイは、自身のキャリアを狂わせたケガについて「すごくイライラした」と胸中を吐露している。
「最初に運動能力、次にスピード、そしてエネルギー(体力)が奪われていった。ケガをしてまったく別人になってしまった。痛みがあるプレーと痛みのないプレーはまったく違う。足首の捻挫や炎症、小さな損傷とかならまだいいが、半月板や前十字靱帯を断裂してマイクロフラクチャー手術を受け、再び走ってジャンプするのは難しい。すごく辛かった」
1993年のドラフト1巡目3位でゴールデンステイト・ウォリアーズに指名され、同1位指名のクリス・ウェバーとのトレードでオーランド・マジック入りしたペニー。ルーキーイヤーから全82試合に先発出場し、平均16.0点、5.4リバウンド、6.6アシストをマークし、エースだったシャキール・オニールの相棒として名乗りを上げた。
翌1994-95シーズンには平均20.9点、7.2アシストと成績を伸ばし、オールスター出場、オールNBA1stチーム初選出とリーグ屈指のPGに成長。プレーオフでも“神様”マイケル・ジョーダンが1度目の引退から復帰したシカゴ・ブルズを破り、球団創設6年目で、ファイナル初進出を果たした。頂上決戦ではヒューストン・ロケッツに4連敗を喫したものの、ペニーは平均25.5点、4.8リバウンド、8.0アシストと意地を見せた。
3年目のシーズンも平均21.7得点、7.1アシストを記録したが、プレーオフではカンファレンス決勝でブルズにリベンジを食らって敗退。シャックがシーズン終了後にレイカーズへ移籍したため、“シャック&ペニー”の強力デュオはわずか3年で終わりを告げてしまった。
シャックに代わってエースとなったペニーは、その後度重なるヒザの故障に悩まされ、本来の輝きを失ってしまう。その後フェニックス・サンズ、ニューヨーク・ニックス、マイアミ・ヒートと渡り歩き、2007-08シーズン途中に解雇されて事実上の現役引退と、儚くNBAキャリアに幕を閉じた。
通算15シーズンで704試合に出場し、平均15.2点、4.5リバウンド、5.0アシスト。早熟の天才として語られ続けているハーダウェイは、自身のキャリアを狂わせたケガについて「すごくイライラした」と胸中を吐露している。
「最初に運動能力、次にスピード、そしてエネルギー(体力)が奪われていった。ケガをしてまったく別人になってしまった。痛みがあるプレーと痛みのないプレーはまったく違う。足首の捻挫や炎症、小さな損傷とかならまだいいが、半月板や前十字靱帯を断裂してマイクロフラクチャー手術を受け、再び走ってジャンプするのは難しい。すごく辛かった」