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NBA

コビーの死から約半年。アマレが“高卒出身の先輩”であり“偉大なライバル“の凄みを改めて振り返る

ダンクシュート編集部

2020.07.09

プレーオフでしのぎを削りあい、オールスターでは何度も共闘したコビーとアマレ。ともに高卒出身であり、海外にルーツを持つなど共通点も多い。(C)Getty Images

プレーオフでしのぎを削りあい、オールスターでは何度も共闘したコビーとアマレ。ともに高卒出身であり、海外にルーツを持つなど共通点も多い。(C)Getty Images

 ロサンゼルス・レイカーズのスーパースターだったコビー・ブライアントが、ヘリコプター墜落で急逝したのが今年1月。あの痛ましい事故から6か月が経とうとするなか、かつて同じウエスタン・カンファレンスでしのぎを削り合ったアマレ・スタッダマイアーが、4歳年上のレジェンドへのリスペクトを『Fox Sports Radio』で語った。

 コビーは“史上屈指の豊作年”と言われた1996年のドラフトでNBA入り。まだ高卒選手の成功例が少ないなかで世界最高峰のリーグへ飛び込み、NBA制覇5回、歴代4位となる通算3万3643点、五輪金メダル獲得2回など輝かしいキャリアを過ごした。

 一方のスタッダマイアーは、サイプレス・クリーク高卒業後の2002年ドラフト1巡目9位でフェニックス・サンズに入団。司令塔ナッシュが加入した2004-05シーズンにリーグ5位の平均26.0点を叩き出すなど、攻撃的なラン&ガンスタイルの中で才能を開花させ、リーグ屈指の“動けるビッグマン”として名を馳せた。
 
 スタッダマイアーが2010年にニューヨーク・ニックスへ移籍するまで、プレーオフで3度対戦するなどしのぎを削り、オールスターでも共闘した両者。現在、イスラエルで現役を続けるスタッダマイアーは、今年1月26日にコビーが急逝したニュースを知ると、試合後のインタビューで涙をぬぐいながら「何て言ったらいいか分からない。すごくショックだ……。現実だと思いたくないし、信じたくもない」と語り、心にぽっかりと空いた穴の大きさを感じさせていた。

 コビーを自身の“好きな選手”の上位に挙げるスタッダマイアーは、彼がNBAでトップレベルをキープし続けた要因をどう考えているのか?

「コビーは世代に1人の男だった。知っての通り、彼は高校を卒業してNBAに入った。きっとプロ選手だった父親(ジョー・ブライアント)から多くを学んだと思う。10~12歳の時には、ロッカールームに行ってマジック(ジョンソン)やカリーム(アブドゥル・ジャバー)、ジョージ・ガービンと話したり、コートで選手たちと一緒にシューティングしたり、他の子どもたちが経験できないような機会を手にしていたしね」
 

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