人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり!
ドリームチームIIIのシグネチャーモデル第3弾、本編19箱目は、ジョン・ストックトンが着用したオリンピックモデル「NIKE AIR ADJUST FORCE」のお話です。
1996年のオリンピック開催地はアトランタ。必勝、しかも圧倒的な強さが求められるドリームチームのバックアップ・ポイントガードはやはりこの男でした。先発は同年にNBAファイナルに進出し、マイケル・ジョーダンを苦しめたゲイリー・ペイトン、“マジック・ジョンソン二世”と呼ばれたアンファニー“ペニー”ハーダウェイ、そしてもう1人がストックトンという顔ぶれでした。
ストックトンはチーム最年長の34歳。先発したのは8試合中わずか1試合のみで得点はチーム最下位の平均3.8点でした。しかし決勝のユーゴスラビア戦ではゲームハイの7アシストをあげ、前回大会に続いて2個目の金メダルをゲットし母国開催に錦を飾ったのです。
シューズ(というかファッション全般)にこだわりのないストックトンですが、NIKEはバルセロナでのドリームチーム同様、ポイントガードのストックトンに、“Large Forefoot Air/Multi Chamber Air”という、コテコテのFORCE系シューズを用意しました。
「AIR ADJUST FORCE」の最大の特徴は、“FIT WRAP” 。前・横・後で、ベルクロの止める位置を変え、個々人の足の状況に合わせて調整可能な機能がついていることです。
“FIT WRAP”は紺地に、オリンピックモデルであることを表わす「USA」ロゴが刺繍され、華やかさを醸し出していますが、取り外してしまうと一般的なバッシュに早変わり。ただこれも計算のうちで、“部活で下級生が着用しても先輩に注意されない”シンプルなデザイン性も売りにしていました。
他のカラーウェイでは、“FIT WRAP”部分の色を変え、チーム対応ができるシステムを採用。市場のニーズと工場への負担を減らし、利益を上げるという双方ウィンウィンのバッシュ販売に挑戦した実験モデルであり、オリンピックという一大セールスイベントを有効活用した事例と言えるでしょう。
残念ながら、結果的にブームにはならなかったものの、ファッションブランドになりかけていたNIKEが、あくまでスポーツブランドであることを強く主張したシューズだったと思います。
ドリームチームIIIのシグネチャーモデル第3弾、本編19箱目は、ジョン・ストックトンが着用したオリンピックモデル「NIKE AIR ADJUST FORCE」のお話です。
1996年のオリンピック開催地はアトランタ。必勝、しかも圧倒的な強さが求められるドリームチームのバックアップ・ポイントガードはやはりこの男でした。先発は同年にNBAファイナルに進出し、マイケル・ジョーダンを苦しめたゲイリー・ペイトン、“マジック・ジョンソン二世”と呼ばれたアンファニー“ペニー”ハーダウェイ、そしてもう1人がストックトンという顔ぶれでした。
ストックトンはチーム最年長の34歳。先発したのは8試合中わずか1試合のみで得点はチーム最下位の平均3.8点でした。しかし決勝のユーゴスラビア戦ではゲームハイの7アシストをあげ、前回大会に続いて2個目の金メダルをゲットし母国開催に錦を飾ったのです。
シューズ(というかファッション全般)にこだわりのないストックトンですが、NIKEはバルセロナでのドリームチーム同様、ポイントガードのストックトンに、“Large Forefoot Air/Multi Chamber Air”という、コテコテのFORCE系シューズを用意しました。
「AIR ADJUST FORCE」の最大の特徴は、“FIT WRAP” 。前・横・後で、ベルクロの止める位置を変え、個々人の足の状況に合わせて調整可能な機能がついていることです。
“FIT WRAP”は紺地に、オリンピックモデルであることを表わす「USA」ロゴが刺繍され、華やかさを醸し出していますが、取り外してしまうと一般的なバッシュに早変わり。ただこれも計算のうちで、“部活で下級生が着用しても先輩に注意されない”シンプルなデザイン性も売りにしていました。
他のカラーウェイでは、“FIT WRAP”部分の色を変え、チーム対応ができるシステムを採用。市場のニーズと工場への負担を減らし、利益を上げるという双方ウィンウィンのバッシュ販売に挑戦した実験モデルであり、オリンピックという一大セールスイベントを有効活用した事例と言えるでしょう。
残念ながら、結果的にブームにはならなかったものの、ファッションブランドになりかけていたNIKEが、あくまでスポーツブランドであることを強く主張したシューズだったと思います。
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