人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり!
初代ドリームチームのシグネチャーモデル第9弾、本編14箱目は、クライド・ドレクスラーのオリンピックモデルとして“発売されてしまった”「BASKETBALL 911MWXR」のお話です。
ルイジアナ州ニューオリンズで生まれたドレクスラーは、名門ヒューストン大に進学。同大でのちにNBAでもチームメイトになる盟友アキーム・オラジュワンとタッグを組みました。当時のチームには運動能力が高い選手が揃っており、“ファイ・スラマ・ジャバー”と呼ばれたダンク集団としてファンを虜に。なかでもドレクスラーのダンクは、グライダーの美しい滑空に例えられ、のちに“クライド・ザ・グライド”と呼ばれました。
1983年のドラフト1巡目14位でポートランド・トレイルブレイザーズに入団。1年目は控えに甘んじたものの、若手の2年目からプレータイムも得点も急上昇し、ドレクスラー中心としたチームに変貌していきました。
ただ、ガードのドレクスラーの指名によって翌84年のドラフトでは、2位指名権を持っていたもののマイケル・ジョーダンを“スルー”。のちに語られる“ドラフト史上最大のミス”を引き起こしたのです。
そしてこの一件が、ドレクスラーとジョーダン“月と太陽”の物語の始まりとなりました。ジョーダンがあまりに凄すぎたため見落としがちですが、ドレクスラーは3年目にオールスター出場を果たし、89年にはリーグ4位の平均27.2点を奪取。90、92年にはチームをファイナルまで導きます。ジョーダンと激突した92年の頂上決戦は“ミラーマッチ”と呼ばれました(結果はブルズが4勝2敗で勝利)。
ファイナルで火花を散らした2人がシーズン終了後に、バルセロナ五輪で共演。私は彼らのプレーはもちろん、足下にも注目していました。
初代ドリームチームのシグネチャーモデル第9弾、本編14箱目は、クライド・ドレクスラーのオリンピックモデルとして“発売されてしまった”「BASKETBALL 911MWXR」のお話です。
ルイジアナ州ニューオリンズで生まれたドレクスラーは、名門ヒューストン大に進学。同大でのちにNBAでもチームメイトになる盟友アキーム・オラジュワンとタッグを組みました。当時のチームには運動能力が高い選手が揃っており、“ファイ・スラマ・ジャバー”と呼ばれたダンク集団としてファンを虜に。なかでもドレクスラーのダンクは、グライダーの美しい滑空に例えられ、のちに“クライド・ザ・グライド”と呼ばれました。
1983年のドラフト1巡目14位でポートランド・トレイルブレイザーズに入団。1年目は控えに甘んじたものの、若手の2年目からプレータイムも得点も急上昇し、ドレクスラー中心としたチームに変貌していきました。
ただ、ガードのドレクスラーの指名によって翌84年のドラフトでは、2位指名権を持っていたもののマイケル・ジョーダンを“スルー”。のちに語られる“ドラフト史上最大のミス”を引き起こしたのです。
そしてこの一件が、ドレクスラーとジョーダン“月と太陽”の物語の始まりとなりました。ジョーダンがあまりに凄すぎたため見落としがちですが、ドレクスラーは3年目にオールスター出場を果たし、89年にはリーグ4位の平均27.2点を奪取。90、92年にはチームをファイナルまで導きます。ジョーダンと激突した92年の頂上決戦は“ミラーマッチ”と呼ばれました(結果はブルズが4勝2敗で勝利)。
ファイナルで火花を散らした2人がシーズン終了後に、バルセロナ五輪で共演。私は彼らのプレーはもちろん、足下にも注目していました。
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