殿堂入り選手であるシャキール・オニール(シャック)とチャールズ・バークレーは、現在ともにNBA番組『Inside the NBA』のアナリストを務めている。番組内で絶妙な掛け合いを見せている仲睦まじい2人だが、現役時代には乱闘騒動を起こして確執が生まれる寸前だった。その危機を救ったのは、両者の母親だという。
事件が勃発したのは、1999年11月10日にヒューストンで行なわれたロサンゼルス・レイカーズ対ヒューストン・ロケッツの一戦だった。当時36歳と現役ラストイヤーだったロケッツのバークレーが、第2クォーター残り9分3秒にゴール下でパスを受けてポンプフェイクからシュートを狙った際、レイカーズのグレン・ライスからファウルを受ける。その直後、頭付近に出されたままだったシャックの右手を振り払うような仕草を見せると、シャックがバークレーを突き飛ばすと同時に、バークレーはボールをシャックの頭部に投げつける衝撃の行動に。一瞬の間があった後、取っ組み合いとなり、両チームの選手とコーチが入り乱れる大騒動となった。
2人はこの乱闘騒動で試合半ばにして退場処分となったが、ロッカールームに戻るとシャックの元に予期せぬ電話があったという。シャックは『The Tonight Show Starring Jimmy Fallon』で21年前の出来事を振り返っている。
「俺とチャールズは一戦を交えた。彼が俺の頭にボールを投げつけたんだ。『チャールズ、俺はあんたのことをリスペクトしているが、今ぶん殴らないと気が済まない』って感じだったよ。俺は左手でパンチを繰り出したが、彼は外側に動いてかわし、俺を掴んでコートに引き倒した。ロッカールームに戻ったら、俺の母親とチャールズの母親から電話があったんだ」
バークレーの母親チャーシー・グレンと、シャックの母親ルシール・オニールは仲が良かったというが、2人から心を改めるように諭されたという。
「もしもし?」(シャック)
「チャールズの母親よ。あなたのお母さんも電話口にいるわ」(チャーシー・グレン)
「どうしたの?」(シャック)
「喧嘩はやめなさい。私はすでにチャールズと話したわ。彼はあなたと通路で会うつもりよ。仲直りしなさい。あなたたちは世界で最も偉大なプレーヤーの2人なの。私たちは子どもたちの前で争うことを望んでいない」(チャーシー・グレン)
事件が勃発したのは、1999年11月10日にヒューストンで行なわれたロサンゼルス・レイカーズ対ヒューストン・ロケッツの一戦だった。当時36歳と現役ラストイヤーだったロケッツのバークレーが、第2クォーター残り9分3秒にゴール下でパスを受けてポンプフェイクからシュートを狙った際、レイカーズのグレン・ライスからファウルを受ける。その直後、頭付近に出されたままだったシャックの右手を振り払うような仕草を見せると、シャックがバークレーを突き飛ばすと同時に、バークレーはボールをシャックの頭部に投げつける衝撃の行動に。一瞬の間があった後、取っ組み合いとなり、両チームの選手とコーチが入り乱れる大騒動となった。
2人はこの乱闘騒動で試合半ばにして退場処分となったが、ロッカールームに戻るとシャックの元に予期せぬ電話があったという。シャックは『The Tonight Show Starring Jimmy Fallon』で21年前の出来事を振り返っている。
「俺とチャールズは一戦を交えた。彼が俺の頭にボールを投げつけたんだ。『チャールズ、俺はあんたのことをリスペクトしているが、今ぶん殴らないと気が済まない』って感じだったよ。俺は左手でパンチを繰り出したが、彼は外側に動いてかわし、俺を掴んでコートに引き倒した。ロッカールームに戻ったら、俺の母親とチャールズの母親から電話があったんだ」
バークレーの母親チャーシー・グレンと、シャックの母親ルシール・オニールは仲が良かったというが、2人から心を改めるように諭されたという。
「もしもし?」(シャック)
「チャールズの母親よ。あなたのお母さんも電話口にいるわ」(チャーシー・グレン)
「どうしたの?」(シャック)
「喧嘩はやめなさい。私はすでにチャールズと話したわ。彼はあなたと通路で会うつもりよ。仲直りしなさい。あなたたちは世界で最も偉大なプレーヤーの2人なの。私たちは子どもたちの前で争うことを望んでいない」(チャーシー・グレン)