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NBA

「ジョーダンは私の足下にも及ばなかった」トーマスが高らかに主張。さらにデータで“追い打ち”も

ダンクシュート編集部

2020.11.21

犬猿の仲であるジョーダン(左)とトーマス(右)。お互い譲らぬ舌戦は、今もなお続いている。(C)Getty Images

犬猿の仲であるジョーダン(左)とトーマス(右)。お互い譲らぬ舌戦は、今もなお続いている。(C)Getty Images

 アイザイア・トーマスとマイケル・ジョーダンは、現役時代に犬猿の仲だったことは有名な話だ。引退後も両者の溝は埋まらず、舌戦は続いている。

 発端は1985年のオールスターゲームで、トーマスが当時ルーキーだったジョーダンにパスをしないように首謀したとされる事件。その後、1992年のバルセロナ五輪では、ジョーダンがトーマスのドリームチームメンバー入りを拒んだとも言われている。

 今年4~5月に公開された1997-98シーズンのシカゴ・ブルズを追ったドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』では、ジョーダンがトーマスについて「彼がなんと言おうと、“嫌なヤツ”という事実は変えられない」と真っ向から否定し、確執が解消されていないことが浮き彫りとなった。

 そのなかで先日、トーマスが『Club Shay Shay』に出演した際、“全盛期の自分”はジョーダンを上回っていたと高らかに主張した。

「私は彼を圧倒していた。選手生命に大きな影響を与えた手首の手術を行った1991年までは、個人成績でも、チーム成績でも、ジョーダンは私の足元にも及ばなかったよ(笑)。ほとんどの人は、私が5歳は年上だと思っていたけど、実際は1学年の違いだ。当時、彼は私のライバルでも何でもなかった」

 トーマスがライバルとして名前を挙げたのは、ロサンゼルス・レイカーズの伝説的な司令塔であるマジック・ジョンソンや、ボストン・セルティックスの名手ラリー・バードだ。

「誰が何と言おうと気にしないが、歴史を振り返ってみれば、ドクターJ(ジュリアス・アービング)、モーゼス・マローン、ラリー・バード、ロバート・パリッシュ、ケビン・マクヘイル、カリーム・アブドゥル・ジャバー、マジック・ジョンソンらが私のライバルだったと分かるはずだ。ジョーダンは(私とは)違う時代を支配した。もしジョーダンを同じ時代に置いたら、もっと負けていただろう」
 
 そして、トーマスは自身のツイッターでさらに“追い打ち”をかけている。あるデータを引用して、自分の優位性をアピールしたのだ。『ALL ICONIC SPORTS』が1985~90年の成績を公開しており、当該期間にトーマスは平均21.1点、4.0リバウンド、9.4アシスト、1.9スティール、FG成功率45%、3ポイント成功率43.2%、対戦成績20勝10敗(勝率68%)、プレーオフシリーズ3勝0敗だったと紹介。「彼は言いたいを言っても許される」と、実際に直接対決を支配していたとしている。

 ジョーダンは85~90年、個人として平均32.6得点、6.6リバウンド、5.9アシスト、FG成功率46%を記録していたが、“バッドボーイズ”の異名を取っていたピストンズに対しては、“ジョーダン・ルール”と呼ばれた徹底マークに苦しめられた。プレーオフでは1988年から3年連続でピストンズに敗れており、その壁を乗り越えたのはブルズで初優勝を果たした1991年だった。

「憎しみじゃなく事実だ」

 データを元に、「アイザイア・トーマス>マイケル・ジョーダン」を訴えたトーマス。リーグ優勝2回、ファイナルMVP1回、オールスター出場12回など、長年リーグを代表するスーパースターとして君臨してきたプライドを強く滲ませていた。

構成●ダンクシュート編集部

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