現代NBAにおいて、3人のスーパースターが1チームに集まる“ビッグ3”は珍しくなくなった。そのなかでも特に話題を呼んだのが、2010年にマイアミ・ヒートで結成されたレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)、ドゥエイン・ウェイド、クリス・ボッシュの“スリーキングス”だが、ボッシュが移籍を決断した胸中を明かしている。
ボッシュは、レブロン、カーメロ・アンソニー(現ポートランド・トレイルブレイザーズ)、ウェイドらと同じ03年のドラフトで、1巡目4位指名を受けてラプターズ入り。ルーキーイヤーこそヴィンス・カーターやジェイレン・ローズがいて第4オプションだったが、翌2004-05シーズン途中にカーターがトレードで放出され、新エースに抜擢された。
自身初の平均20点超えを果たした05-06シーズンからオールスターの常連となり、リーグ屈指のスター選手に上り詰めたボッシュ。一方でチームがプレーオフに進出できたのは2回のみで、どちらも1回戦敗退に終わった。
“単独エース”に限界が見え始めていたなか、10年オフにヒート移籍を決断することになるが、決してラプターズ残留の考えがなかったわけではなかったという。元NBA選手のマット・バーンズとスティーブン・ジャクソンがホストを務めるポッドキャスト番組『ALL THE SMOKE』に出演した際、当時を振り返っている。
「(トロントで)すぐに勝ちたかった。ただ、2010年のフリーエージェントの状況的に、アメリカ国内でプレーし、すぐに勝てるチャンスがある場所に、という考えに至った。それが一番重要なことだった。マイケル・ジョーダンとコビー・ブライアントは、我々のヒーローだった。2人で計11個のチャンピオンリングだ。それに対して、私はゼロ(笑)。7年間プレーしていながら、だいぶ遅れを取っていた」
10年オフのフリーエージェント市場には、レブロン(当時クリーブランド・キャバリアーズ)を筆頭に、ウェイド(当時ヒート)、ダーク・ノビツキー(当時ダラス・マーベリックス)、ジョー・ジョンソン(当時アトランタ・ホークス)、アマレ・スタッダマイアー(当時フェニックス・サンズ)など大物揃いで、各選手たちの動向が大きな注目を集めていた。
ボッシュはラプターズに後ろ髪を引かれつつも、勝利を最優先した結果、ウェイドが残留し、レブロンがキャブズから加入するヒート行きを決断したという。
「たくさんのOBとも話をしたけど、私が『大きなステージでプレーしたいかどうか』ということだった。そして、私はそれに固執し、すべての決断を下すファクターになった。勘違いしてほしくないのは、決断においてはトロントの存在は私を悩ませた。トロントは私のホームで、多くの友人がそこにいた。自分が望めばどこからでもシュートを打つことができる状況だったし、ラプターズにも愛着はあった。でも、とにかく勝ちたかったんだ。私は常にコンペティターだった。勝利が何より重要で、私が求めていたものだった」
ヒート移籍1年目の10-11シーズンこそファイナルでマブズに敗れたが、翌シーズンから自身初タイトルを含むリーグ2連覇を果たしたボッシュ。15年2月に肺血栓が発覚し、19年に現役引退を正式発表したが、「勝利」「優勝」という観点からは、10年の決断は正しかったと言えるかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
【PHOTO】NBA最強の選手は誰だ?識者8人が選んだ21世紀の「ベストプレーヤートップ10」を厳選ショットで紹介!
ボッシュは、レブロン、カーメロ・アンソニー(現ポートランド・トレイルブレイザーズ)、ウェイドらと同じ03年のドラフトで、1巡目4位指名を受けてラプターズ入り。ルーキーイヤーこそヴィンス・カーターやジェイレン・ローズがいて第4オプションだったが、翌2004-05シーズン途中にカーターがトレードで放出され、新エースに抜擢された。
自身初の平均20点超えを果たした05-06シーズンからオールスターの常連となり、リーグ屈指のスター選手に上り詰めたボッシュ。一方でチームがプレーオフに進出できたのは2回のみで、どちらも1回戦敗退に終わった。
“単独エース”に限界が見え始めていたなか、10年オフにヒート移籍を決断することになるが、決してラプターズ残留の考えがなかったわけではなかったという。元NBA選手のマット・バーンズとスティーブン・ジャクソンがホストを務めるポッドキャスト番組『ALL THE SMOKE』に出演した際、当時を振り返っている。
「(トロントで)すぐに勝ちたかった。ただ、2010年のフリーエージェントの状況的に、アメリカ国内でプレーし、すぐに勝てるチャンスがある場所に、という考えに至った。それが一番重要なことだった。マイケル・ジョーダンとコビー・ブライアントは、我々のヒーローだった。2人で計11個のチャンピオンリングだ。それに対して、私はゼロ(笑)。7年間プレーしていながら、だいぶ遅れを取っていた」
10年オフのフリーエージェント市場には、レブロン(当時クリーブランド・キャバリアーズ)を筆頭に、ウェイド(当時ヒート)、ダーク・ノビツキー(当時ダラス・マーベリックス)、ジョー・ジョンソン(当時アトランタ・ホークス)、アマレ・スタッダマイアー(当時フェニックス・サンズ)など大物揃いで、各選手たちの動向が大きな注目を集めていた。
ボッシュはラプターズに後ろ髪を引かれつつも、勝利を最優先した結果、ウェイドが残留し、レブロンがキャブズから加入するヒート行きを決断したという。
「たくさんのOBとも話をしたけど、私が『大きなステージでプレーしたいかどうか』ということだった。そして、私はそれに固執し、すべての決断を下すファクターになった。勘違いしてほしくないのは、決断においてはトロントの存在は私を悩ませた。トロントは私のホームで、多くの友人がそこにいた。自分が望めばどこからでもシュートを打つことができる状況だったし、ラプターズにも愛着はあった。でも、とにかく勝ちたかったんだ。私は常にコンペティターだった。勝利が何より重要で、私が求めていたものだった」
ヒート移籍1年目の10-11シーズンこそファイナルでマブズに敗れたが、翌シーズンから自身初タイトルを含むリーグ2連覇を果たしたボッシュ。15年2月に肺血栓が発覚し、19年に現役引退を正式発表したが、「勝利」「優勝」という観点からは、10年の決断は正しかったと言えるかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
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