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北京五輪でコビーが果たした”グルーガイ”としての役割。かつての恩師とチームメイトが当時を懐古〈DUNKSHOOT〉

ダンクシュート編集部

2021.03.11

金メダル奪回を掲げて臨んだ08年北京五輪。ベテランのコビーは黒子役に徹し、若手とともに母国を頂点に導いた。(C)Getty Images

 オリンピックにおけるバスケットボールの歴史を語るうえで、1992年のバルセロナ五輪で金メダルを獲得した「ドリームチーム」は欠かせない。現役NBA選手が史上初めて五輪の舞台に参戦し、"神様"マイケル・ジョーダンを筆頭にマジック・ジョンソン、ラリー・バード、チャールズ・バークレー、パトリック・ユーイング、スコッティ・ピッペンら超豪華メンバーが集結。全8試合を通じて平均43.8点差をつけて頂点に立ったスター軍団は、今もなお"史上最高のチーム"として語り継がれている。

 その夢の軍団に次いでアメリカ代表史上2番目に優れたチームとも言われたのが、2008年の北京五輪に出場した「リディームチーム」(Redeem Team)だ。銅メダルに終わった2004年のアテネ五輪から"名誉挽回"を期すべく、コビー・ブライアント、レブロン・ジェームズ、ドゥエイン・ウェイド、カーメロ・アンソニー、クリス・ボッシュ、ドワイト・ハワード、ジェイソン・キッド、クリス・ポール、デロン・ウィリアムズ、テイショーン・プリンス、カルロス・ブーザー、マイケル・レッドと当時の最強チームを結成。決勝でスペインを破って金メダルを獲得し、王国の威厳を取り戻した。
 
 当時のチームは、ウェイドが"スーパーサブ"としてチームトップの平均16.0点、2007-08シーズンにNBA得点王(平均30.0点)に輝いたレブロンがそれに次ぐ平均15.5点をマーク。レイカーズ、そしてリーグの顔だったコビーはチーム3位の平均15.0点を記録した一方で、スコアリングではなく"グルーガイ"(接着剤のように選手と選手をつなぐ仕事をする選手)として、レブロンやウェイド、カーメロら若手を支えることを選択した。マイク・シャシェフスキーHC(ヘッドコーチ)には、「俺が相手を徹底的に叩き潰してみせます」と、エースストッパーの役割を申し出ていたという。

 午前5時にジムで練習するコビーにウェイドが最初に加わり、次にレブロン、そしてほどなくしてほかの選手たちも合流。コビーのリーダーシップの下、選手たちは絆を深め、チームは一致団結した。
 
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