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【名作シューズ列伝】NIKEから特別待遇を受けた日本人NBA選手のパイオニア、田臥勇太の「AIR ZOOM BRAVE III」

西塚克之

2021.04.02

田臥は2004年にサンズと契約。日本人初のNBA選手として4試合に出場した。(C)Getty Images

 人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり! 

 現在NBAにはワシントン・ウィザーズの八村塁、トロント・ラプターズの渡邊雄太と2人の日本人プレーヤーが在籍しています。なかでも八村は毎試合スタメンとしてコートに立ち、当たり前のように2桁得点を稼いでいます。

 ただ、2000年代初頭まで日本人選手にとってNBAははるか遠い世界。一部ではこの先100年、日本人NBAプレーヤーは誕生しないだろうとまで言われていました。そんな"冬の時代"に、海を渡り現在の道標を示したのが田臥勇太(現Bリーグ・宇都宮ブレックス)です。

 1980年に神奈川県横浜市に生まれた田臥は、母の影響で小学2年生からバスケットボールを始めました。中学3年生の時には全国大会でチームを3位に導き、大会ベスト5に選出。同年には当時ニューヨーク・ニックスの大黒柱だったパトリック・ユーイングとCMで共演し、"未来のスター"として日本中に田臥勇太の存在を知らしめました。

 高校は秋田県の能代工業に進学すると、1年生から先発を任され、インターハイ、国体、ウインターカップの3大タイトルを3年連続で制覇。前人未到の9冠を達成します。

 10代で日本バスケ界のスーパースターとなった田臥は、2000年にNCAA2部のブリガムヤング大ハワイ校に入学。しかし2年間はケガの治療、そして英会話や単位取得に費やすことに。3年生の時に大学を中退すると、スーパーリーグ時代のトヨタ自動車アルバルク(現アルバルク東京)に入団し、新人王を受賞します。
 
 このまま日本に骨を埋めるかと思われた田臥でしたが、彼は夢を諦めずNBA挑戦を決意します。翌年にデンバー・ナゲッツのサマーリーグに参加し、プレシーズンゲームにも出場。開幕ロースターには残れなかったものの、独立リーグABAのロングビーチ・ジャムとサイン。同チームではNBAレジェンドのデニス・ロッドマンとプレーしており、1年目から優勝を経験しました。

 そして04年9月にフェニックス・サンズと契約。開幕戦となった11月3日のアトランタ・ホークス戦、田臥は第4クォーターにコートへ立ち、NBA初の日本人プレーヤーとなりました。

 結局シーズン途中で解雇され、NBAの通算成績は4試合で7得点、4リバウンド、3アシスト。特筆すべき数字は残せませんでしたが、身長173センチの田臥が世界最高峰の舞台に立ったことは、日本バスケ界にとって大きな一歩となったのです。



 今回紹介する「AIR ZOOM BRAVE III」は、田臥が日本に復帰して2年目の2010年、JBLオールスターゲームで着用したモデルです。

 BRAVE(「勇敢」の意)シリーズは、自身の名前である"勇"から取ったシグネチャー。NIKE契約者の中でも数少ない、シューズ名に選手名が入ったスペシャル仕様となっています。
 
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BRAVEシリーズはキッドやカリーらNBA選手も着用!