5月23日(日本時間24日)、ワシントン・ウィザーズに所属する八村塁がフィラデルフィア・セブンティシクサーズとのシリーズ初戦に先発出場。日本の至宝は36分間の出場で12得点、5リバウンドをマーク。試合には敗れたものの、第4クォーターには3ポイントを決めるなど、プレーオフデビュー戦における得点は、アジア出身のNBA選手としては史上最多の数字だった。
ここでは、過去にNBAでプレーしたアジア人選手のプレーオフデビュー戦を振り返る。(所属チームは当時のもの)
ヤオ・ミン(中国/ロケッツ/2004年)
38分、10得点、11リバウンド、3アシスト
16年に殿堂入りしている中国のレジェンドは、八村と同じキャリア2年目にプレーオフを経験。ロケッツの先発センターとしてシャキール・オニールやコビー・ブライアント、カール・マローンといったスター選手擁するロサンゼルス・レイカーズと対戦した。初戦から229㎝という恵まれたサイズを生かしダブルダブルを達成したものの、第4クォーター終盤に6つ目のファウルを取られて退場。なお、シリーズ平均は5試合で15.0点、7.4リバウンド、1.8アシスト、1.4ブロックだった。
ワン・ジジ(中国/マーベリックス/2001年)
5分、7得点、1リバウンド、1スティール
99年のドラフト2巡目でダラス・マーベリックスに2巡目36位で指名されたアジア人NBA選手のパイオニア。01年、23歳の時にマブズと契約を結び、同年のユタ・ジャズとのファーストラウンド第3戦でアジア人初のプレーオフを経験した。出場はガーベッジタイムだったものの、3ポイント1本を含む7得点、1リバウンドを記録している。
ハメド・ハッダディ(イラン/グリズリーズ/2011年)
1分、0得点、0リバウンド
グリズリーズでマルク・ガソルのバックアップを務めたNBA初のイラン人プレーヤー。218㎝・115kgと恵まれた体躯を誇るビッグマンは、11年にサンアントニオ・スパーズとの1回戦初戦でプレータイムを得たものの、コートに立ったのは第2クォーター中盤の52秒のみ。当時25歳と働き盛りだったが、実力をアピールするにはあまりに時間が短く、スタッツは0得点、0リバウンド、1ターンオーバーだった。
ここでは、過去にNBAでプレーしたアジア人選手のプレーオフデビュー戦を振り返る。(所属チームは当時のもの)
ヤオ・ミン(中国/ロケッツ/2004年)
38分、10得点、11リバウンド、3アシスト
16年に殿堂入りしている中国のレジェンドは、八村と同じキャリア2年目にプレーオフを経験。ロケッツの先発センターとしてシャキール・オニールやコビー・ブライアント、カール・マローンといったスター選手擁するロサンゼルス・レイカーズと対戦した。初戦から229㎝という恵まれたサイズを生かしダブルダブルを達成したものの、第4クォーター終盤に6つ目のファウルを取られて退場。なお、シリーズ平均は5試合で15.0点、7.4リバウンド、1.8アシスト、1.4ブロックだった。
ワン・ジジ(中国/マーベリックス/2001年)
5分、7得点、1リバウンド、1スティール
99年のドラフト2巡目でダラス・マーベリックスに2巡目36位で指名されたアジア人NBA選手のパイオニア。01年、23歳の時にマブズと契約を結び、同年のユタ・ジャズとのファーストラウンド第3戦でアジア人初のプレーオフを経験した。出場はガーベッジタイムだったものの、3ポイント1本を含む7得点、1リバウンドを記録している。
ハメド・ハッダディ(イラン/グリズリーズ/2011年)
1分、0得点、0リバウンド
グリズリーズでマルク・ガソルのバックアップを務めたNBA初のイラン人プレーヤー。218㎝・115kgと恵まれた体躯を誇るビッグマンは、11年にサンアントニオ・スパーズとの1回戦初戦でプレータイムを得たものの、コートに立ったのは第2クォーター中盤の52秒のみ。当時25歳と働き盛りだったが、実力をアピールするにはあまりに時間が短く、スタッツは0得点、0リバウンド、1ターンオーバーだった。