レブロン・ジェームズやカーメロ・アンソニー(現ロサンゼルス・レイカーズ)やクリス・ボッシュ(元トロント・ラプターズほか)など、NBA歴代屈指の当たり年と言われる2003年ドラフトでマイアミ・ヒートから5位指名を受けたのが、ドゥエイン・ウェイドだ。
マーケット大出身のスラッシャーは、ルーキーイヤーのプレーオフでクラッチプレーを決めて一躍注目を集めると、2年目にはシャキール・オニールと強力コンビを結成。そして3年目の2005-06シーズンにはファイナルに進出、大舞台ではダラス・マーベリックス相手に平均34.7点、第3~6戦は平均39.3点とリーグ史に残る圧巻のパフォーマンスを演じ、チームをフランチャイズ初優勝に導いた。
若くしてスター選手の仲間入りを果たした“フラッシュ”は、その後、10年にレブロンとボッシュとヒートでビッグ3を結成。これによりチームは4年連続でファイナルに駒を進め、2度(12、13年)の優勝を加え、19年まで現役を続けた。
今週『Washington Post』にウェイドのインタビューが掲載。現在はユタ・ジャズで共同オーナーを務めているウェイドはそのなかで、レブロンと共にプレーする秘訣について聞かれ「あるのか分からないね」と口にし、10年にレブロン、ボッシュとスリーキングスを形成するうえで意外なことをこぼしていた。
「08-09シーズンに、僕はMVPとDPOY(最優秀守備選手賞)に選ばれるべきだと思っていたけど、その年に落ちたのさ。だってそのうちひとつも獲得できなかったから。あれから個人成績なんて気にしなくなった。そんなの意味ないんだと痛感した」
ウェイドは06年のヒート初優勝時にファイナルMVP、10年にはオールスターMVPにも輝き、オールスターに13度、オールNBAチームに8度、オールディフェンシブチームにも3度選ばれてきたのだが、シーズンMVPとDPOYだけは獲得した経験がない。
そんな男にとって、ベストな個人成績を残したのが08-09シーズンだった。自他ともに認めるエースとして、いずれもキャリアハイとなる平均30.2点、7.5アシスト、2.2スティール、1.3ブロックに5.0リバウンドをマーク。
だが、このシーズンのヒートはプレーオフ進出がやっとの状態で、1回戦でアトランタ・ホークスの前に3勝4敗で敗退。優勝には程遠かったこともあり、MVP投票ではレブロン、コビー・ブライアントに次ぐ3位、DPOYでもドワイト・ハワード(現レイカーズ)、レブロンに次ぐ3位に終わっていた。
「僕が大好きかつ楽しんでいたのは勝利することだった。勝利を重ねることでテレビでも話すことができたしね。それ以降は平均27.0点以上することはなくなり、22.0点くらいまで落ちていった。それはどうすればこのチームへ最高の助けができるのか、自分の役割を模索していたからなんだ」
ウェイドは公称193センチ・99キロと、パワーガードながらSGとしては背が低い部類だったものの、爆発的なジャンプ力と球際における強さ、的確なポジショニングもあってブロックショットを量産していた。
また、キャリアを重ねるごとにジャンパーに磨きをかけて精度も増しており、キャリアを通して勝負強さは健在だった。本人が話していたように、勝利した時こそ最も輝いていたと言えるだろう。
ただ、もし09年にウェイドがMVP、もしくはDPOYを獲得していたら――。一世を風靡したビッグ3は誕生することなく、3人のキャリア、そしてNBAの歴史も大きく変わっていただろう。
文●秋山裕之(フリーライター)
マーケット大出身のスラッシャーは、ルーキーイヤーのプレーオフでクラッチプレーを決めて一躍注目を集めると、2年目にはシャキール・オニールと強力コンビを結成。そして3年目の2005-06シーズンにはファイナルに進出、大舞台ではダラス・マーベリックス相手に平均34.7点、第3~6戦は平均39.3点とリーグ史に残る圧巻のパフォーマンスを演じ、チームをフランチャイズ初優勝に導いた。
若くしてスター選手の仲間入りを果たした“フラッシュ”は、その後、10年にレブロンとボッシュとヒートでビッグ3を結成。これによりチームは4年連続でファイナルに駒を進め、2度(12、13年)の優勝を加え、19年まで現役を続けた。
今週『Washington Post』にウェイドのインタビューが掲載。現在はユタ・ジャズで共同オーナーを務めているウェイドはそのなかで、レブロンと共にプレーする秘訣について聞かれ「あるのか分からないね」と口にし、10年にレブロン、ボッシュとスリーキングスを形成するうえで意外なことをこぼしていた。
「08-09シーズンに、僕はMVPとDPOY(最優秀守備選手賞)に選ばれるべきだと思っていたけど、その年に落ちたのさ。だってそのうちひとつも獲得できなかったから。あれから個人成績なんて気にしなくなった。そんなの意味ないんだと痛感した」
ウェイドは06年のヒート初優勝時にファイナルMVP、10年にはオールスターMVPにも輝き、オールスターに13度、オールNBAチームに8度、オールディフェンシブチームにも3度選ばれてきたのだが、シーズンMVPとDPOYだけは獲得した経験がない。
そんな男にとって、ベストな個人成績を残したのが08-09シーズンだった。自他ともに認めるエースとして、いずれもキャリアハイとなる平均30.2点、7.5アシスト、2.2スティール、1.3ブロックに5.0リバウンドをマーク。
だが、このシーズンのヒートはプレーオフ進出がやっとの状態で、1回戦でアトランタ・ホークスの前に3勝4敗で敗退。優勝には程遠かったこともあり、MVP投票ではレブロン、コビー・ブライアントに次ぐ3位、DPOYでもドワイト・ハワード(現レイカーズ)、レブロンに次ぐ3位に終わっていた。
「僕が大好きかつ楽しんでいたのは勝利することだった。勝利を重ねることでテレビでも話すことができたしね。それ以降は平均27.0点以上することはなくなり、22.0点くらいまで落ちていった。それはどうすればこのチームへ最高の助けができるのか、自分の役割を模索していたからなんだ」
ウェイドは公称193センチ・99キロと、パワーガードながらSGとしては背が低い部類だったものの、爆発的なジャンプ力と球際における強さ、的確なポジショニングもあってブロックショットを量産していた。
また、キャリアを重ねるごとにジャンパーに磨きをかけて精度も増しており、キャリアを通して勝負強さは健在だった。本人が話していたように、勝利した時こそ最も輝いていたと言えるだろう。
ただ、もし09年にウェイドがMVP、もしくはDPOYを獲得していたら――。一世を風靡したビッグ3は誕生することなく、3人のキャリア、そしてNBAの歴史も大きく変わっていただろう。
文●秋山裕之(フリーライター)
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