元NBA選手のクワミ・ブラウンは、歴代でも“大成しなかったドラフト1位指名選手”の代表格として名前が挙がるほど、周囲の期待に応えきれないキャリアを過ごした。
211㎝・122㎏のビッグマンだったブラウンは、マイケル・ジョーダン、コビー・ブライアントの両雄と一緒にプレーした数少ない選手の1人だが、当初はコビーがいるロサンゼルス・レイカーズへの移籍には抵抗があったことを明かしている。
2000年にワシントン・ウィザーズの共同オーナー兼バスケットボール運営責任者となったジョーダンは、全体1位指名権を持っていた01年のドラフトで、グリン・アカデミー高を卒業したばかりのブラウン指名を決断。当時、高卒ルーキーが全体1位指名を受けるのはNBA史上初の出来事だった。
しかし、ジョーダンからかけられた期待とは裏腹に、ルーキーイヤーは57試合(先発3試合)で平均4.5点、3.5リバウンド、フィールドゴール成功率38.7%と平凡な数字に。2年目の02-03シーズンは80試合に出場するも、平均7.4点、5.3リバウンドとセカンドユニットから抜け出せず。3年目にようやく先発の座を掴み、平均10.9点、7.4リバウンド、1.5アシストの成績を残したが、結局これがキャリアハイの数字だった。
05年夏にサイン&トレードでレイカーズに放出され、その後メンフィス・グリズリーズ、デトロイト・ピストンズ、シャーロット・ボブキャッツ(現ホーネッツ)、ゴールデンステイト・ウォリアーズ、フィラデルフィア・セブンティシクサーズと渡り歩くも、開花することなく、30歳だった12-13シーズンでNBAキャリアは終了。
通算607試合で平均6.6点、5.5リバウンド、ドラフト1位指名選手の中でもワーストクラスの失敗例と揶揄された。
ブラウンはウィザーズを去る前、ニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)で名司令塔ジェイソン・キッドとプレーできるようにエージェントに働きかけていた。結局それは叶わずにレイカーズに加入することになるが、自分にも周囲にも厳しいコビーとチームメイトになるのは当初抵抗があったようだ。
「コビーのような選手には会ったことがない。マインドが(ほかの人とは)かなり違う。同じ高卒出身で自分が比較されることもあった。カリフォルニア(レイカーズ)には行きたくなかった。
それは彼がMJ(ジョーダン)のようで、シュートもたくさん打っていたからだ。キッドかパスファーストのポイントガードとプレーするつもりだった。(ネッツ時代の)ケニョン・マーティンが身体能力を生かして走り、ロブをキャッチしてダンクするのを見て、『ワオ、寝ててもあんなプレーができる』と思った」
211㎝・122㎏のビッグマンだったブラウンは、マイケル・ジョーダン、コビー・ブライアントの両雄と一緒にプレーした数少ない選手の1人だが、当初はコビーがいるロサンゼルス・レイカーズへの移籍には抵抗があったことを明かしている。
2000年にワシントン・ウィザーズの共同オーナー兼バスケットボール運営責任者となったジョーダンは、全体1位指名権を持っていた01年のドラフトで、グリン・アカデミー高を卒業したばかりのブラウン指名を決断。当時、高卒ルーキーが全体1位指名を受けるのはNBA史上初の出来事だった。
しかし、ジョーダンからかけられた期待とは裏腹に、ルーキーイヤーは57試合(先発3試合)で平均4.5点、3.5リバウンド、フィールドゴール成功率38.7%と平凡な数字に。2年目の02-03シーズンは80試合に出場するも、平均7.4点、5.3リバウンドとセカンドユニットから抜け出せず。3年目にようやく先発の座を掴み、平均10.9点、7.4リバウンド、1.5アシストの成績を残したが、結局これがキャリアハイの数字だった。
05年夏にサイン&トレードでレイカーズに放出され、その後メンフィス・グリズリーズ、デトロイト・ピストンズ、シャーロット・ボブキャッツ(現ホーネッツ)、ゴールデンステイト・ウォリアーズ、フィラデルフィア・セブンティシクサーズと渡り歩くも、開花することなく、30歳だった12-13シーズンでNBAキャリアは終了。
通算607試合で平均6.6点、5.5リバウンド、ドラフト1位指名選手の中でもワーストクラスの失敗例と揶揄された。
ブラウンはウィザーズを去る前、ニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)で名司令塔ジェイソン・キッドとプレーできるようにエージェントに働きかけていた。結局それは叶わずにレイカーズに加入することになるが、自分にも周囲にも厳しいコビーとチームメイトになるのは当初抵抗があったようだ。
「コビーのような選手には会ったことがない。マインドが(ほかの人とは)かなり違う。同じ高卒出身で自分が比較されることもあった。カリフォルニア(レイカーズ)には行きたくなかった。
それは彼がMJ(ジョーダン)のようで、シュートもたくさん打っていたからだ。キッドかパスファーストのポイントガードとプレーするつもりだった。(ネッツ時代の)ケニョン・マーティンが身体能力を生かして走り、ロブをキャッチしてダンクするのを見て、『ワオ、寝ててもあんなプレーができる』と思った」
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