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「孤独を感じた」デューク大のスターだったレディックが新人時代を回想「みんな、私のことを好きじゃなかった」<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2023.08.03

デューク大から鳴り物入りでマジックに加入したレディックだが、2年目までは苦しい日々を送っていたという。(C)Getty Images

 NBAで15年間プレーしたJJ・レディックは、カレッジの名門デューク大からプロの世界に飛び込んだ。しかし、当時のチームメイトとは友好的な関係を築けず、孤独を感じていたと告白している。

 当時マイク・シャシェフスキーHC(ヘッドコーチ)が率いるデューク大で1年時から主力として活躍したレディック。平均26.8点を叩き出した4年時はスウィート16敗退も、ネイスミス賞、ジョン・ウッデン賞、アドルフ・ラップ賞などカレッジの主要個人アウォードを総なめにし、2006年のドラフト1巡目11位でオーランド・マジックに指名された。

 カレッジで高評価を得て、鳴り物入りでNBA選手となったレディックは、マジック、ミルウォーキー・バックス、ロサンゼルス・クリッパーズ、フィラデルフィア・セブンティシクサーズ、ニューオリンズ・ペリカンズ、ダラス・マーベリックスと渡り歩き、15年間で歴代18位となる通算3ポイント成功数1950本、同19位の通算3ポイント成功率41.5%と、シャープシューターとして重宝された。

 しかし、ルーキーイヤーの2006-07シーズン、翌07-08シーズンは先発出場がなく、計76試合で平均5.2点と苦戦。初年度のマジックにはドワイト・ハワードやヒドゥ・ターコルー、グラント・ヒル、ジャミーア・ネルソンらが在籍していたが、加入が歓迎されなかった現実をレディックは自身がホストを務めるポッドキャスト番組『The Old Man and the Three』で告白している。
 
「デューク出身者としてNBAに入ったルーキーイヤーを思い出すよ。ナショナル・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーを2度受賞して、無愛想で自信過剰な男と言われるかもしれない。私は憎しみを感じた。嫉妬とまでは言わないけど、NBAでは時代が違った。(07年に)ラシャード・ルイスが移籍してくる私の2年目までは、ベテランがいるとは感じなかった。ルーキーイヤーは孤独を感じたよ。選手たちはみんな、私のことを好きじゃなかった」

 それだけに、高校時代から大きな注目を集め、03年のドラフト1位指名でクリーブランド・キャバリアーズの一員となり、1年目から平均20.9点、5.5リバウンド、5.9アシストを記録して新人王に輝いたレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)の偉大さをレディックは称えている。

「どう考えても、レブロンは過度の期待に応えていた。いろいろ調べていたら、(03~05年にキャブズを率いていた)ポール・サイラスの言葉を見つけたんだ。レブロンがチームメイトから嫌われていたことについて話していた。

『(周囲の)選手たちのエゴがそれを許さなかった。未来のスターの1人を助けるチャンスがあったのに、受け入れようとしなかった』と。レブロンのおかげでシーズン35勝(47敗)できた。それ以降も彼は素晴らしいシーズンを送ったが、あのルーキーイヤーが最も印象的だったのは、そういった選手たちの嫉妬があったにもかかわらず、いかに自分が優秀か示したからだ。クレイジーな名言さ」

 レディックにとっては、NBAでのルーキーイヤーはほろ苦い思い出として残っているようだ。

構成●ダンクシュート編集部

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