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2010年、レブロンの“本命”はヒートではなかった?アリナスが指摘「彼らはシカゴかニューヨークに行きたがっていた」<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2023.11.12

レブロンのヒート行きは、ミラー(左)とハズレムがキーになったとニックスOBのオークレーと語った。(C)Getty Images

 NBAの"キング"ことレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)は、2010年にクリーブランド・キャバリアーズからフリーエージェント(FA)になった際、マイアミ・ヒートへ移籍した。ドゥエイン・ウェイド、クリス・ボッシュと"スリーキングス"を形成し、12年、13年にリーグ2連覇を果たしたのは記憶に新しいが、元NBA選手のギルバート・アリナスは、レブロンにとってヒートは最優先オプションではなかったと見解を述べている。

 2003年のドラフト全体1位指名でキャブズに入団したレブロンは、瞬く間にチームの絶対的エースへと昇り詰める。06年から5年連続でプレーオフに進出し、07年にはNBAファイナルに駒を進めるも、サンアントニオ・スパーズの前に4連敗。キャブズでの7シーズンでリーグタイトルを手にできず、10年にヒートへと移籍した。

 米スポーツ専門局『ESPN』の特別番組『The Decision』でヒート行きを発表し、ウェイド、ボッシュという同期のスーパースターとトリオを組むと、キャブズの英雄から一転、ファンがレブロンのユニフォームを燃やして批判を繰り広げるなど全米中の悪役となったのはあまりに有名な話だ。
 
 ヒート以外のチームもレブロンの獲得に動き、その去就は大いに注目されていたが、当時現役だったアリナスは自身がホスト役を務めるポッドキャスト番組『Gil's Arena』で「実は、彼ら(レブロンサイド)はシカゴ(ブルズ)かニューヨーク(ニックス)に行きたがっていた。覚えている。その時、彼は(MLBチームの)LAドジャースのキャップをかぶっていた。あらゆる兆候があったんだ」と振り返る。

 アリナスによれば、ニックスはレブロンを獲得するために、ユニット結成を目論んでFAのジョー・ジョンソンを狙ったが、最終的にアトランタ・ホークスに残留。レブロンがシューターのマイク・ミラーとプレーすることを望んでいると知ると、5年総額6000万ドル(約91億円)のオファーを提示したという。

「ニューヨークはレブロンがマイク・ミラーと手を組むと聞いて、マイク・ミラーに6000万ドルを準備したが、ミラーはそれを断った。みんなそれを知らないんだ。マイク・ミラーは6000万ドルを断って、マイアミと3000万ドル(約45億5000万円)で契約したんだ」